陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

あぶらとり(1)

ラジオ「昔話へのご招待」で、私にとって忘れられないお話のひとつに「あぶらとり」があります。
ちょっとこわい、その内容もさることながら、「外国からきたお話かもしれない」という小澤先生のコメントが、印象的でした。私も聞いていて、他の昔話と少し雰囲気が違っていて、何だか海外ドラマみたいだなぁ…と、思ったからです。

ふと思い出して、こちらのカタログを見てみました。

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

すると、「あぶらとり」のお話の中心となっている、(太った)男が脂を絞られる場面は、話型956「強盗たちの家の熱い部屋」のなかに含まれているようでした。
類話は、ヨーロッパ、中央アジア、中東、インド、中国、アフリカと、広範に分布しています。
(ただ、話型956に分類されるお話であっても、脂を搾られる場面が入っていないものも沢山あるようです。)

ついでに、「あぶらとり」でインターネットを検索してみたら、日本の「今昔物語集」の中に、似たお話が2つ収録されていて、うち1つは中国の7世紀の文献を和訳したものということでした。

ずいぶん古いお話だったのですね。何となく新しいお話かと思っていたので、意外でした。

「昔話の考古学 山姥と縄文の女神」

昔話の考古学―山姥と縄文の女神 (中公新書)

昔話の考古学―山姥と縄文の女神 (中公新書)

ラジオ「昔話へのご招待」で、以前、インドネシアのハイヌウェレ神話と、日本の昔話「やまんばのにしき」が同じ系統のお話であることが、説明されていました。

本書でも同じように、両者の類似点を検証して、さらに、大昔の日本でハイヌウェレ信仰が具象化されたものが、縄文時代の土偶であると述べています。
女性が子供を産むことと、作物がよく実ることとの間に、大昔の人々が、呪術的な関連性を見出して、そんな信仰が生まれたのでしょうか。

土偶は、縄文時代の中期(約5,500 - 4,500年前)から、日本の関東地方、東北地方、中部地方を中心にたくさん作られたそうです。
縄文時代から、栗などの栽培が行われていたことは、時々話題になりますが、土偶も、その証拠なのでしょうか。
土偶の出土が多い地域と、少ない地域で、人々の生活様式は異なっていたのでしょうか?


ところで、日本の、古事記日本書紀には、ハイヌウェレによく似た「オオゲツヒメ」(古事記)と「ウケモチ」(日本書紀)が登場します。
オオゲツヒメウケモチは、五穀(稲を含む)と養蚕の神=弥生の女神?と、いう印象がありましたが、実は、もっと古い神様だったかもしれないのですね。


そういえば、日本の山姥同様、女神の零落した姿であるという、ヨーロッパの「ホレおばさん」は、どんなルーツをもつ神様なのでしょうか?

「若い女はベッドの下に強盗がいるのを見つけたとき、どのように身を守ったか」

学生の頃に、友達の友達の先輩の話だけど…みたいな感じで、
<一人暮らしの女性の部屋のベッドの下に斧を持った男が隠れていた>という話をきいたことがあります。
初めて聞いた時は怖い!!と思いました。
その後TVで都市伝説と分かって二度ビックリしましたが、妙にリアルな感じがして、全くの嘘とは思えませんでした。

ところが、ラジオ「昔話へのご招待」で紹介されていた話型カタログ

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

によれば、「若い女はベッドの下に強盗がいるのを見つけたとき、どのように身を守ったか」(話型956D)
と集約される内容の昔話が、ヨーロッパ、中東、インド、アメリカ(スペイン系)、アフリカに分布しているそうです。
上の都市伝説?は、実は、何百年も前から知られていた、昔話の一種だったのかもしれません…。
元来伝播力があるので、日本で<一人暮らしの若い女性>&<部屋にベッドがある>という状況が一般化したのと同時に、広く流行したのかも…と、思います。


ところで、このカタログ(通称ATUカタログ)は、数年前、同ラジオの「夢の蜂」の回で聞いて以来、是非、自分の目で見てみたいと思っていました♪

普段の生活では気づきにくいことですが、昔話は、国や民族に関係なく世界じゅうに分布しているものが多く、「羽衣」「猿蟹合戦」のように、日本オリジナルと思えるような昔話でも、実は、世界中に類話があるのだそうです。
本書ではそんな類話を一つずつまとめて、番号をつけて、世界のどこに分布しているか記載しています。

たとえば、因幡の白兎がワニの背中を渡る話は、話型58としてまとめられていて、類話がアジア、アフリカ、チリ、アメリカ(アフリカ系)に分布しています。

地理的な広さも、時間的な奥行きも、縮めてしまう昔話って、本当に凄いなぁと思いました…。

適応能力?

年を取ると、新しい環境への適応能力が落ちるとよくききます。

新しい職場、新しい文化、新しい言葉、新しい土地…。
若い時には、ワクワクする気持ちの方が大きかったと思うのですが。

年々、実感することが多くなりました。
新しい環境に入ると、以前の自分が、夢のように消えてしまって、
あとに何も残っていないような気持ちになります。

なぜでしょうね。

脳の容量?メモリ?が、少なくなって、
新しいことを書きこむのに、労力を要しているのかもしれません。

ハイヌウェレ2

ハイヌウェレや、山姥の錦などのお話をきいていたら、鶴の恩返しを思い出しました。

それから、もしかして農耕が始まった頃には、豊作を願うために女性を捧げることがあって、
それはあんまりなので、代わりに土偶を作るようになったのかな…なんて、つい、想像を逞しくしてしまいました。

全く見当違いの妄想とは思いますが、そう考えると、何だか、土偶が身近に感じられます。
狩猟採集から農耕へと、社会が大きく変わったときの、人々の驚きが閉じ込められた存在のような気がして…。

ハイヌウェレ

ラジオ「昔話へのご招待」で大分前に放送された、「インドネシアの昔話」シリーズ5回目、6回目の「ハイヌウェレ」のお話をきいて、
なんとなく、女性は赤ちゃんを産むので、そこから、女性の体から食物や陶器が出てくるという連想になったのかな?という気がしました。

そんなことを考えながら何度もきいているうち、女性をかたどった縄文時代の土偶が思い出されました。

迷信と信仰

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版金枝篇(下)   ちくま学芸文庫 フ 18-2

初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2

今では迷信と言われるような、昔からの信仰は世界中にあるようです。
なぜ、そんな信仰が生まれたのか、想像もつきませんでしたが…、
この本には、その成立過程がとても分かりやすく書いてあります。

情報量が多くて、全部は読み通せていませんが、
時々手にとって、開いた部分を読むと、いろいろな想像が膨らみます。

たとえば、少女が女性になるときに、太陽から隠すという習俗があちこちにあるそうです。
日本の例は、残念ながらありませんでしたが、なんとなく、天岩戸のお話を思い出しました。

女の子がヒキガエルの皮をかぶるお話

母が読んでくれた本は、タイトルを覚えていませんが、昔話集のような感じで、沢山お話が入っていました。
いちばん印象深かったのは、女の子が山道をひとりで歩くので、ヒキガエルの皮をかぶって老婆に変身するというお話です。

どうして変身しないといけないのか、どうしてヒキガエルの皮なのか、どうして、それでおばあさんになれるのか…、
子供心に不思議なことばかりで、今でも覚えています。

小学校の前半くらいまで、寝る前に本を読んでもらった記憶があります。
私は、得意なことの少ない、成長の遅い(おそらく育てづらい)子供でしたが、一人遊びが好きだったこともあって、
なぜか、字を読むのだけは少しだけ得意で、本は小さなころからいろいろ読みました。
でも、母に読んでもらうのは、自分で読むのとは別の楽しさや嬉しさがあって、忘れられない思い出です。

後年になって、母は、嫌々早口で読んでいたと、自分で言っていましたが、
それでも、読んでもらえるだけで、嬉しかったものです。