陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

JG フレーザー「旧約聖書のフォークロア」

旧約聖書に書かれているいろいろなエピソードについて、世界中から類話や類例を集めて起源を考察している、と思います。

過越の起源が知りたくて、図書館で借りて、でも情報量に圧倒されて、まだ少ししか読めていないんです。

目次だけでお腹いっぱい…!!でも凄い。

フレーザーさんって、金枝篇でも有名ですけれど、いったいどんな頭脳をしていたのでしょうか。PCもない時代にこんな膨大な情報を集めて、整理して、分かりやすい文章で論理的な考察を加えて論文にしているのですから…。

旧約聖書のフォークロア (太陽選書)

旧約聖書のフォークロア (太陽選書)

 

高い本ですが、自分へのクリスマスプレゼントにしたくなりました。

日本の昔話・伝説研究の第一人者、小澤俊夫さんのラジオ「昔話へのご招待」では、時々、日本の昔話と、世界の昔話の類似点について、とても興味深い解説があります。たとえば、鳥取の昔話と、中南米(マヤだったかな?)の昔話が似ているとか、グリム童話の「コルベスさん」と「猿蟹合戦」が似ているとか、こんな例は数えきれないほどあって、「桃太郎」すら、ヨーロッパの学者さんに話すとギリシアの「アルゴ・ナウト伝説」に似ている、と言われたそうです。

人間は、大昔から意外と長距離を移動している、と、小澤先生はいつも言われます。

聖書に書かれているような神話的なお話だって、昔話同様、各民族に固有のものばかりではないはずです。よく考えたら当たり前だけれど、今までよく考えなかったし、何となく、逆に、日本の神話や神道は日本のものだとしか思っていませんでした。

古くからこれほど研究されているなら、もっとはやく知りたかった事実です。

蘇民将来

坂口安吾「安吾の新日本地理 01 安吾 伊勢神宮にゆく」(青空文庫)

伊勢は、天孫一族の氏神伊勢神宮がある土地にもかかわらず、天孫以前の信仰と思われる「蘇民将来子孫」の札を戸口にかけている家が多いそうです。

Wikipediaによれば、蘇民将来の信仰は伊勢だけでなく日本中にあるようですが、その正体は謎に包まれていて、起源は朝鮮、インド、中央アジアなど様々な説があります。

一説によれば、ユダヤ教の「過越祭」とも共通点があると知り、初めは(まさか…)と思いましたが、確かに、似ているところがあります。

それは、蘇民将来の娘が武塔神に教えられた "しるし"(茅の輪) を身につけて、天罰を免れるところ。武塔神は恐ろしい神様で、茅の輪を身につけていなかった人間は、蘇民将来を含めて皆殺しにしてしまうのです…。でも、だからこそ、茅の輪や、それと同じ効果をもつ「蘇民将来子孫」の札の有難さが増すのだと思います。

ユダヤ教の過越祭は、出エジプトの折、ユダヤ人が戸口に "しるし" をつけておくことで神による災厄を免れたという、旧約聖書の出来事が元になっているそうです。この災厄は、人間から家畜にいたるまでエジプトの「すべての初子を撃つ」という(Wikipedia)、やはり非常に恐ろしいものです。

日本人と、ユダヤ人の暮らしていた土地は、距離的には離れているのに、似たお話が伝わっているのは、面白いです。旧約聖書の成立年代は紀元前4~5世紀とのことですが、大変古い時代に、こんな苛烈な神様が中東にいて、同時期に?その少し後に?日本にも流れついたのでしょうか。

また、日本とユダヤの文化や信仰に共通点があることは、ときどき指摘されていて、今までは、(いくらなんでも…)と思っていたのですが、もしかすると、他の民族が忘れてしまった非常に古い信仰を今でもなくさずに持っているところが、共通しているのかも…と、思いました。

 

刑事ヴァランダー

刑事ヴァランダー・シリーズは、スウェーデンのミステリー作家、ヘニング・マンケル氏の代表作で、11作品中9作品が邦訳されています。シリーズものですが、事件は1作ずつ完結していて、どこからでも読めます。

邦訳版の最新作は「霜の降りる前に」です。読んだ当時、威圧的な男性への対処に少々悩んでいたので、作中でリンダ(娘)が短気なヴァランダー(父)を、恐れながらもやり過ごす場面がとても印象に残っています。

霜の降りる前に〈上〉 (創元推理文庫)

霜の降りる前に〈上〉 (創元推理文庫)

 
霜の降りる前に〈下〉 (創元推理文庫)

霜の降りる前に〈下〉 (創元推理文庫)

 

本作の訳者あとがきで、作者が亡くなったことを知り、大変残念に思いました。

 

ミステリー小説は、若い頃よく読んでいたのですが、年とともに、なんとなく疎遠になっていました。でも、あるとき偶然ヴァランダー・シリーズを読んで、時間を忘れてミステリーを読む楽しみを思い出すことができました。それは多分、主人公のクルト・ヴァランダー(凄腕刑事)のキャラクターが個性的なのと、スウェーデンの社会問題を背景に描いたストーリーが読み応えがあって面白いからかな…と思います。訳文が読みやすいのも魅力です!

ヴァランダー・シリーズはBBCでドラマ化されていて、日本でもWOWOWで放映されています。昨日、初めてドラマ版(第4シリーズ「白い雌ライオン」)を見ましたが、ドラマ版のヴァランダーは、原作よりも随分寡黙になっていて、何だかカッコ良すぎてちょっと物足りなかったです。原作にかなりボリュームがあるので(716ページ)、事件に関係ない部分を削ったのかもしれませんが…。

白い雌ライオン (創元推理文庫)

白い雌ライオン (創元推理文庫)

 

「白い雌ライオン」は、物語の舞台も、スウェーデン(原作)⇒南アフリカ(ドラマ版)と、大きく変更されていました。南アフリカの景観や雰囲気がじっくり描かれていたのは良かったけれど、クルトを振り回すイースタ署の面々や家族が出てこないのは、原作のファンとしては少々残念でした。

水位

ニュースを見ていると、いろいろな言葉が出てきて、混乱してしまいますが、川の水位は、
はん乱注意水位<避難判断水位<はん乱危険水位 (<越水)

ソース:川の防災情報(国土交通省)

今回の大雨で、上のサイト、自治体のHPやライブカメラ、Yahoo、TVなどを見ていて気付いたのは、
やっぱり情報が早いのは、水位のモニターやライブカメラなど、1次情報だということでした。

油を絞るのは罪?

冥界で罪人が脂を絞られていたけれども、お坊さんが法華経を唱えると、脂絞りの責め苦を許してもらえたというお話が、7世紀の中国の説話にあります。
その背景には、法華経の「油を圧(お)す殃(つみ)」(漢訳)という一節が、絡んでいるようなのですが…
なぜ、油を絞るのが罪になるのか、日本で出ている法華経の本を参照すると、不思議なことに、本によって理由が違っています。
理由は、2種類に大別されます。

  • 理由A:ゴマ油にわいた虫をゴマと一緒に絞って、たくさんの生き物を殺してしまうから
  • 理由B:ゴマ油にわいた虫をゴマと一緒に絞って、粗悪な油になってしまうから

もしかすると、お経は、サンスクリット語⇒中国語⇒日本語 と、訳されてきているので、その間に複数の解釈が生じたのかも…?と、思いました。
そこで、サンスクリット語法華経を、直接、日本語の現代語に訳したものを探してみました。

法華経 下―梵漢和対照・現代語訳

法華経 下―梵漢和対照・現代語訳

該当箇所を抜き出すと…

説法者を凌駕しようとするところの人[、その人]は、胡麻の油を絞る者に属するところの道、そして胡麻を打ち砕く者に属するところの道、その道を突き進むでありましょう。(P.413,415)

上記の解釈について、訳注に次のように書かれていました。

「胡麻の油を絞る」ことと、「胡麻を打ち砕く」ことが罪とされる理由は、よく分からないが、渡辺照宏氏は、胡麻についている虫類を一緒に殺してしまう殺生罪になるからだという(P.419)

原典に理由が明示されていないので、今となっては何ともいえず、本当のところは分からないようです。
上記の中国の説話や、日本の「あぶらとり」の昔話では、主客転倒して、<罪人は脂を絞られる>とされたのは、お国柄でしょうか。興味深いことです。

※因みに、仏教の不殺生は、植物には適用されないそうです。

仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)

仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)

あぶらとり(3)

インターネットを検索していて見つけた文献(http://dx.doi.org/10.7592/FEJF2016.64.khan)に、インド北部のウッタル・プラデーシュ州から集められたという、面白いお話の要約版が掲載されていました。内容は、大体こんな感じみたいです↓。

ある商人の息子が、毎日殴らせてくれる女性となら、結婚すると公言していた。
結婚式が終わると、彼の妻は「お金を稼いで来てくれたら殴ってもいいですよ」と言った。
男は行商に出掛けたが、旅の途中で人に騙され、商品を全て失った。
男は農場に住み込んで、1日中ゴマ油を絞る仕事に就いた。
そんな状況にもかかわらず、男は「自分の運命を喜んでいます。たくさん稼ぎました」と書いた手紙を父親に送った。
手紙を読んだ父親は大層満足したが、男の妻は嘘を見抜いて、尽力の末、男を帰宅させた。

(訳が間違っていたらごめんなさい…ヾ(;´▽`)

無茶な要求をした男が脂を絞られるのではなく、自分でゴマ油を絞るのが、面白いと思いました。

あぶらとり(2)

中国で7世紀頃成立したとされる「冥報記」に、ある人が、死後、冥界で脂を絞られるけれど、残された家族がお坊さんを呼んで、お坊さんがお経を唱えるとその責め苦が止んだというお話があり(「北齊梁伝」)、日本の「今昔物語集」にも和訳が掲載されています。

今昔物語集 9 震旦部 (東洋文庫 379)

今昔物語集 9 震旦部 (東洋文庫 379)

(巻第七 第三十一)

なぜお経(法華経)を唱えると、脂絞りの責め苦を許してもらえるのでしょう?

法華経のなかで、油を絞ることは、父母を殺すことや、他人を騙すことと、同列の<罪、良くないこと>とされているそうです。
その理由の1つは、油を絞ると、ゴマにわいた虫(ゴマ油を食べて太った虫)も殺してしまい、結果的に沢山の生き物を殺めてしまうためです。
参考:アメリカBuddhist Text Translation Society による法華経及びその解釈の英訳(サンフランシスコ州立大学HP内)
(Chapter Twenty-six: "Dharani")

食べ物にわく虫は、人間にとって、厄介なものです。
でも、ゴマ油にわいた虫でも、油を絞って殺すのは罪であるという考え方が、このお経には込められているので、脂を搾られている罪人を助けられるのだと思います。

ただ、ひとつ気になることがあります。
ゴマにわいた虫を、人に当てはめて、「油/脂を絞る」=「懲らしめる」とする考え方は、最初からあったのでしょうか?
それとも、法華経が広まっていく中で、付け足された考え方なのでしょうか。
なんとなく、後者のような気がするのですが…。

あぶらとり(1)

ラジオ「昔話へのご招待」で、私にとって忘れられないお話のひとつに「あぶらとり」があります。
ちょっとこわい、その内容もさることながら、「外国からきたお話かもしれない」という小澤先生のコメントが、印象的でした。私も聞いていて、他の昔話と少し雰囲気が違っていて、何だか海外ドラマみたいだなぁ…と、思ったからです。

ふと思い出して、こちらのカタログを見てみました。

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

すると、「あぶらとり」のお話の中心となっている、(太った)男が脂を絞られる場面は、話型956「強盗たちの家の熱い部屋」のなかに含まれているようでした。
類話は、ヨーロッパ、中央アジア、中東、インド、中国、アフリカと、広範に分布しています。
(ただ、話型956に分類されるお話であっても、脂を搾られる場面が入っていないものも沢山あるようです。)

ついでに、「あぶらとり」でインターネットを検索してみたら、日本の「今昔物語集」の中に、似たお話が2つ収録されていて、うち1つは中国の7世紀の文献を和訳したものということでした。

ずいぶん古いお話だったのですね。何となく新しいお話かと思っていたので、意外でした。

「昔話の考古学 山姥と縄文の女神」

昔話の考古学―山姥と縄文の女神 (中公新書)

昔話の考古学―山姥と縄文の女神 (中公新書)

ラジオ「昔話へのご招待」で、以前、インドネシアのハイヌウェレ神話と、日本の昔話「やまんばのにしき」が同じ系統のお話であることが、説明されていました。

本書でも同じように、両者の類似点を検証して、さらに、大昔の日本でハイヌウェレ信仰が具象化されたものが、縄文時代の土偶であると述べています。
女性が子供を産むことと、作物がよく実ることとの間に、大昔の人々が、呪術的な関連性を見出して、そんな信仰が生まれたのでしょうか。

土偶は、縄文時代の中期(約5,500 - 4,500年前)から、日本の関東地方、東北地方、中部地方を中心にたくさん作られたそうです。
縄文時代から、栗などの栽培が行われていたことは、時々話題になりますが、土偶も、その証拠なのでしょうか。
土偶の出土が多い地域と、少ない地域で、人々の生活様式は異なっていたのでしょうか?


ところで、日本の、古事記日本書紀には、ハイヌウェレによく似た「オオゲツヒメ」(古事記)と「ウケモチ」(日本書紀)が登場します。
オオゲツヒメウケモチは、五穀(稲を含む)と養蚕の神=弥生の女神?と、いう印象がありましたが、実は、もっと古い神様だったかもしれないのですね。


そういえば、日本の山姥同様、女神の零落した姿であるという、ヨーロッパの「ホレおばさん」は、どんなルーツをもつ神様なのでしょうか?