片目の伝説(4)
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先日、地元の図書館で、ふと民話の本を手にとって開くと、片目の魚のお話が載っていました。
- 片目の魚の伝説とは…
- ある池・沼などに住む魚がおかしなことに皆片目だといい、それにまつわるさまざまな因縁が語られます。たとえば、片目を矢で射ぬかれた武将がその池で目を洗って以降、魚が片目になった…など。
片目の伝説って、なぜこんなに、あちこちに、沢山あるのでしょう?
私の郷里には、片目の神様の伝説があるので、ちょっと気になってしまいます。
- 片目の神さまの伝説とは…
- 神さまがある地方へ出かけた折、ある特定の(ウド、胡麻、竹など)植物で目を傷めたので、その後、その地方にはその植物が生えなくなったというお話です。
Wikipedia等によれば、日本の片目伝説の起源は、2つの説がよく知られています。
- 日本の片目伝説の起源
時代的には、2であれば弥生時代くらい、1であればもっと大昔になるでしょうか。
そんな大昔の信仰が、2000年(以上?)経った今も沢山残っていると思うと、とても不思議です。
ところで、片目伝説は、古い書物にも書き残されているのでしょうか?
一つ目の神様や鬼に関する伝説は、日本書紀や風土記にあり、これらは、ギリシア神話など海外の神話などとも類似点があるそうです。驚いたことにギリシア神話にも一つ目の鍛冶の神様がいらっしゃるのだとか。
今残っている片目伝説は、これらと関係があるのでしょうか?
ヒラメちゃんの塩センベの正体?
漫画「じゃりン子チエ」に出てくる謎のお菓子、塩せんべい。
東北の「南部せんべい」同様、丸くて、フチにギザギザが付いています。
結局、実物にはまだ遭遇していないのですが…、
私は、これは今でも売られている「ポンせんべい」の古いバージョンなのかも?と、密かに考えています。
ポンせんべいは、「満月ポン」の松岡製菓さんによれば、昭和33年(1958年)に商品化されたそうです。
ポンせんべいは、小麦粉を、おせんべいの型に密閉して、圧力をかけて空気を含ませて焼き、醤油味をつけたものです。密閉するので、南部せんべいのようなギザギザ部分はなく、まんまるな形をしています。
でも、ポンせんべいが考案される前は、圧力をかけない、南部せんべい方式で焼いていたのでは?
つまり、醤油味の南部せんべいが、ヒラメちゃんの塩センベの正体なのでは?
と、思うのです。
ちなみに、なぜ塩味でないかというと…、
関西は昔は瓦せんべいのような甘いおせんべいが主流で、それに対して、関東発の醤油味のおせんべいを、塩せんべいと呼んで区別していたらしいので。
ところで、漫画「じゃりン子チエ」の連載開始は、Wikipediaによれば昭和53年(1978年)です。
ポンせんべい登場から20年経っていますが、この頃にはまだ、ヒラメちゃんの塩センベが残っていたのでしょうか。
かさじぞう
小澤俊夫さんの「昔話へのご招待」の、年末最後の回で、「かさじぞう」を久し振りに聴きました。
聞き手の中村律子さんも仰っていましたが、良いお話だなぁ…と、しみじみしてしまいました。
お正月くらいお米を食べたいと思って、家に残っていた資材で、菅笠を作って売りに行って…、でも、悲しいことに全く売れなかったので、雪で寒そうにしていたお地蔵さんに被せてあげて、1つ足りなかったのでお爺さんがかぶっていた笠もかぶせてあげたら、お地蔵さんが…、というお話。
自分を大切にする気持ち、人を大切にする気持ち、生きていくのに何が大事かということ、その気づきは簡単なようで難しいということ。ほんの短いお話の中に全部入っているのが凄いなぁと、思いました。
山裾の闇
小豆島で農家を営む老夫婦が、息子夫婦と同居するために、故郷を引き払って東京に移住する短編小説です。
農家の厳しい生活と、夫婦のシビアな現実感覚がとても印象的でした。
私の家も元々は田舎のお百姓さんだったからか、読んでいると、実家に戻ったような気持ちになりました。
実際に昔ながらの農家で生活した経験はありませんが、子供時代に親戚の集まりで何泊か泊まったことはあります。
当時の情景で忘れられないのが、夜の闇の中で見た真っ黒な山です。
山から、黒い静寂が押し寄せてきて、何か居るというより、何かが満遍なく溶け込んでいて、自分もその中に吸い込まれそうな気がしました。こういうところに住んでいたら、物事が全然違って見えるのかな…と、子供心に感じました。
JG フレーザー「旧約聖書のフォークロア」
旧約聖書に書かれているいろいろなエピソードについて、世界中から類話や類例を集めて起源を考察している、と思います。
過越の起源が知りたくて、図書館で借りて、でも情報量に圧倒されて、まだ少ししか読めていないんです。
目次だけでお腹いっぱい…!!でも凄い。
フレーザーさんって、金枝篇でも有名ですけれど、いったいどんな頭脳をしていたのでしょうか。PCもない時代にこんな膨大な情報を集めて、整理して、分かりやすい文章で論理的な考察を加えて論文にしているのですから…。
高い本ですが、自分へのクリスマスプレゼントにしたくなりました。
日本の昔話・伝説研究の第一人者、小澤俊夫さんのラジオ「昔話へのご招待」では、時々、日本の昔話と、世界の昔話の類似点について、とても興味深い解説があります。たとえば、鳥取の昔話と、中南米(マヤだったかな?)の昔話が似ているとか、グリム童話の「コルベスさん」と「猿蟹合戦」が似ているとか、こんな例は数えきれないほどあって、「桃太郎」すら、ヨーロッパの学者さんに話すとギリシアの「アルゴ・ナウト伝説」に似ている、と言われたそうです。
人間は、大昔から意外と長距離を移動している、と、小澤先生はいつも言われます。
聖書に書かれているような神話的なお話だって、昔話同様、各民族に固有のものばかりではないはずです。よく考えたら当たり前だけれど、今までよく考えなかったし、何となく、逆に、日本の神話や神道は日本のものだとしか思っていませんでした。
古くからこれほど研究されているなら、もっとはやく知りたかった事実です。
蘇民将来
坂口安吾「安吾の新日本地理 01 安吾 伊勢神宮にゆく」(青空文庫)
伊勢は、天孫一族の氏神・伊勢神宮がある土地にもかかわらず、天孫以前の信仰と思われる「蘇民将来子孫」の札を戸口にかけている家が多いそうです。
Wikipediaによれば、蘇民将来の信仰は伊勢だけでなく日本中にあるようですが、その正体は謎に包まれていて、起源は朝鮮、インド、中央アジアなど様々な説があります。
一説によれば、ユダヤ教の「過越祭」とも共通点があると知り、初めは(まさか…)と思いましたが、確かに、似ているところがあります。
それは、蘇民将来の娘が武塔神に教えられた "しるし"(茅の輪) を身につけて、天罰を免れるところ。武塔神は恐ろしい神様で、茅の輪を身につけていなかった人間は、蘇民将来を含めて皆殺しにしてしまうのです…。でも、だからこそ、茅の輪や、それと同じ効果をもつ「蘇民将来子孫」の札の有難さが増すのだと思います。
ユダヤ教の過越祭は、出エジプトの折、ユダヤ人が戸口に "しるし" をつけておくことで神による災厄を免れたという、旧約聖書の出来事が元になっているそうです。この災厄は、人間から家畜にいたるまでエジプトの「すべての初子を撃つ」という(Wikipedia)、やはり非常に恐ろしいものです。
日本人と、ユダヤ人の暮らしていた土地は、距離的には離れているのに、似たお話が伝わっているのは、面白いです。旧約聖書の成立年代は紀元前4~5世紀とのことですが、大変古い時代に、こんな苛烈な神様が中東にいて、同時期に?その少し後に?日本にも流れついたのでしょうか。
また、日本とユダヤの文化や信仰に共通点があることは、ときどき指摘されていて、今までは、(いくらなんでも…)と思っていたのですが、もしかすると、他の民族が忘れてしまった非常に古い信仰を今でもなくさずに持っているところが、共通しているのかも…と、思いました。
刑事ヴァランダー
刑事ヴァランダー・シリーズは、スウェーデンのミステリー作家、ヘニング・マンケル氏の代表作で、11作品中9作品が邦訳されています。シリーズものですが、事件は1作ずつ完結していて、どこからでも読めます。
邦訳版の最新作は「霜の降りる前に」です。読んだ当時、威圧的な男性への対処に少々悩んでいたので、作中でリンダ(娘)が短気なヴァランダー(父)を、恐れながらもやり過ごす場面がとても印象に残っています。
本作の訳者あとがきで、作者が亡くなったことを知り、大変残念に思いました。
ミステリー小説は、若い頃よく読んでいたのですが、年とともに、なんとなく疎遠になっていました。でも、あるとき偶然ヴァランダー・シリーズを読んで、時間を忘れてミステリーを読む楽しみを思い出すことができました。それは多分、主人公のクルト・ヴァランダー(凄腕刑事)のキャラクターが個性的なのと、スウェーデンの社会問題を背景に描いたストーリーが読み応えがあって面白いからかな…と思います。訳文が読みやすいのも魅力です!
ヴァランダー・シリーズはBBCでドラマ化されていて、日本でもWOWOWで放映されています。昨日、初めてドラマ版(第4シリーズ「白い雌ライオン」)を見ましたが、ドラマ版のヴァランダーは、原作よりも随分寡黙になっていて、何だかカッコ良すぎてちょっと物足りなかったです。原作にかなりボリュームがあるので(716ページ)、事件に関係ない部分を削ったのかもしれませんが…。
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「白い雌ライオン」は、物語の舞台も、スウェーデン(原作)⇒南アフリカ(ドラマ版)と、大きく変更されていました。南アフリカの景観や雰囲気がじっくり描かれていたのは良かったけれど、クルトを振り回すイースタ署の面々や家族が出てこないのは、原作のファンとしては少々残念でした。
水位
ニュースを見ていると、いろいろな言葉が出てきて、混乱してしまいますが、川の水位は、
はん乱注意水位<避難判断水位<はん乱危険水位 (<越水)
ソース:川の防災情報(国土交通省)
今回の大雨で、上のサイト、自治体のHPやライブカメラ、Yahoo、TVなどを見ていて気付いたのは、
やっぱり情報が早いのは、水位のモニターやライブカメラなど、1次情報だということでした。
油を絞るのは罪?
冥界で罪人が脂を絞られていたけれども、お坊さんが法華経を唱えると、脂絞りの責め苦を許してもらえたというお話が、7世紀の中国の説話にあります。
その背景には、法華経の「油を圧(お)す殃(つみ)」(漢訳)という一節が、絡んでいるようなのですが…
なぜ、油を絞るのが罪になるのか、日本で出ている法華経の本を参照すると、不思議なことに、本によって理由が違っています。
理由は、2種類に大別されます。
もしかすると、お経は、サンスクリット語⇒中国語⇒日本語 と、訳されてきているので、その間に複数の解釈が生じたのかも…?と、思いました。
そこで、サンスクリット語の法華経を、直接、日本語の現代語に訳したものを探してみました。
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説法者を凌駕しようとするところの人[、その人]は、胡麻の油を絞る者に属するところの道、そして胡麻を打ち砕く者に属するところの道、その道を突き進むでありましょう。(P.413,415)
上記の解釈について、訳注に次のように書かれていました。
「胡麻の油を絞る」ことと、「胡麻を打ち砕く」ことが罪とされる理由は、よく分からないが、渡辺照宏氏は、胡麻についている虫類を一緒に殺してしまう殺生罪になるからだという(P.419)
原典に理由が明示されていないので、今となっては何ともいえず、本当のところは分からないようです。
上記の中国の説話や、日本の「あぶらとり」の昔話では、主客転倒して、<罪人は脂を絞られる>とされたのは、お国柄でしょうか。興味深いことです。
※因みに、仏教の不殺生は、植物には適用されないそうです。
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