小判と死体を結ぶもの
昔話で、大晦日に預かった亡骸が、次の日になって大判小判に変わるというエピソードがあります(「大歳の火」など)。
亡骸が、なぜお金に変わるのか、その理由を、ラジオ「昔話へのご招待」では "古い信仰" によるものと説明していました。聴くたびに、不思議な信仰だなぁ…と思っていました。
- 作者: 五来重,井上博道
- 出版社/メーカー: 淡交社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 単行本
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熊野修験は死ぬことを「金になる」といったという話を『沙石集』(巻一)がのせているが、これも修験道と金属の関係をあらわすものとして注意してよい。(中略)
山伏の隠語では死人を金といったのであろう。「大晦日の葬式」という型の昔話では、大晦日の夜中に通る葬式の棺をあずかって、元日の朝あけてみたら死人は金になっていたという。この昔話には死者の霊を光物とする「たましひ」の観念もうかがわれるが、山伏の隠語は実際の山中の金属をさしていたとおもわれる。
このように山中の死人を金とする話の根底には、古代庶民の葬制に、死人を山頂、山腹、または山奥に捨てて風葬した習俗を想定することができるとおもう。しかし山林修行者としての山伏が、その先行者である山人の神秘な探鉱と採鉱の職業技術を伝承していなかったら、これをただちに金にむすびつけることはなかったであろう。(p.150-151)
更に、修験道では山を他界(あの世)と考えていることや、山によっては入口に銅の鳥居を置いていることなども説明されていました。
つまり、古代の人々にとって、山はこの世と地続きの他界であって、そこに金属が産出するので、他界の住人=死人と金とが、結び付いたと考えられるようです。お金と死体を結ぶものは、山に対する信仰だったのかもしれません。
また、これは私の勝手な想像ですが、金属を精錬するときにたくさん薪を切ったり火を使ったりすることや、時に周辺の植物や水に影響が及ぶこと、金属が素材として非常に長持ちすることなども、死のイメージを補強したのかも…と思いました。
(たたら場や金が死と結びつくのは、田や稲が生命力の象徴なのと、丁度逆だとも思いました。たたら場に死体を立てかけて作業の成功を祈願したという話がありますが、これは、田畑の豊作を祈願するために歌垣を催したのと、同じ考え方のように思います。)
数年来の疑問が少し解けた気がしました。古い信仰ではあるのでしょうが、金属素材は現代の便利な生活には欠かせないものです。それに対して古代の人々が大きな畏れをもっていたことを知り、大変考えさせられました。