陽だまり日記

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陽だまり日記

大好きな本や映画のことなど

歴史と神話

メモ

小学校で、初めて歴史を習ったとき、最初に「これだけは」と言われて頑張って覚えた年号のなかに「645年・大化の改新」がありました。
大化の改新は、天皇の地位を横取りしようとした悪者の蘇我氏を、勇気ある中大兄皇子中臣鎌足が倒した事件と、勉強した記憶があります。このストーリーに、とくに疑問をもったことはありませんでした。
でも、先日偶々読んでいた本のなかで、次のような記述をみつけました。

斉明天皇皇極天皇であったときに蘇我入鹿を誅するクーデターがあって大化改新になりますが、それに対して民衆の批判もあったようです。斉明天皇が亡くなって葬式をしているところに、大きな笠をかぶった鬼が出てきてにらんでいたという話が出てくるのは、大化改新そのものに、民衆は必ずしも賛成していなかったと解釈できるのではないかと思います。(五来重 先祖供養と墓 p.43)

怨霊について、こういう考え方もあることを、初めて知りました。また、人々の争いごとは、どちらか一方ではなく、双方に問題があるケースも多いのに、今まで、そんな可能性を考えもしなかったなぁ…と、目がさめた気分です。歴史は、勝者が作るものと言いますが、それは、もしかしたら神話と紙一重なのかも…と、思いました。

それで、思い出したのが、以前に読んだ坂口安吾氏の「安吾の新日本地理04 飛鳥の幻」(青空文庫)です。
大化の改新に関する、「日本書紀」と「上宮聖徳法王帝説」のそれぞれの記述を比較して、隠された事実を大胆に推理しています。下記に結論部分を一部引用します。

皇極二年に山背大兄王及び十五王子を殺すとともに、蝦夷か入鹿のどちらかがハッキリ天皇位につき、民衆もそれを認めていたのではないかね。即ち、「□□□天皇御世乙巳年」は皇極天皇の飛鳥ではなく、甘梼岡だか林太郎だか他の何物だか知らないが、蝦夷天皇か入鹿天皇を示すどれかの三字があったのだ。私はそう解くね。この欠字の特殊な在り方によるのみではなく、日本書紀蝦夷入鹿を誅するのを記述するに途方もないテンカンやヒステリイの発作を起しているからです。きわめて重大な理由がなくて、このような妖しい記述が在りうるものではなかろう。蝦夷入鹿は自ら天皇を称したのではなく、一時ハッキリ天皇であり、民衆がそれを認めたのだ。私製の一人ぎめの天皇に、こんな妖しい記述をする筈はないね。その程度のことは、否それよりも重大な肉親の皇位争い、むごたらしい不吉な事件はほかにいくつもあるではないか。

こんなふうに資料が少ないなかで、実際にあった出来事について可能性を考えるのは、興味深いです。
山背大兄王&十五王子(聖徳太子の係累)を全滅させた蘇我氏を、民衆が認めたというのも、凄い話だなぁと思います。どんな経緯があったのでしょうか、あるいは、別の可能性があるのでしょうか。