陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

蛭子(ヒルコ)のこと

先週のラジオ「昔話へのご招待」では、南米インカの創世神話が紹介されていました。
このなかに出てきた、骨のない太陽の息子のお話はとても印象深いものでした。少しだけ引用します。

世界の始まりの時、北の方から "コン" という名の人間がやって来た。彼には骨がなく、広い地方を敏捷に歩き回っていた。道を短縮するために山を低くし、谷を高くした。それも専ら、意志と言葉によってであった。なぜなら彼は、太陽の息子であることを誇りにしていたからである。…

この話をきいて、日本の創世神話に出てくる、生まれて3年経っても足が立たず、舟で流され捨てられてしまう "蛭子" を思い出しました。
"蛭子" の解釈は諸説あり、文字通り、蛭のように手足のない不完全な子という説もあれば、女性の太陽神 "ヒルメ" と対応する、男性の太陽神 "ヒルコ" ("日ル子")と考える人もいるようです。
"コン" は超人で、出来損ないの扱いを受ける "蛭子" とは大分違いますが、骨がない太陽の息子という点は似ていると思います。

因みに蛭子は、後に、海からやってくる福の神 "恵比寿(夷)" と同一視され、日本中で信仰されることになります。こんなふうに蛭子が復権(?)するのは、Wikipediaによれば、室町時代のことだそうです。また、このような復活(?)は世界的にも珍しい例だといいます。

何だか謎めいたところのある蛭子について、もう少し詳しく知りたいと思っていたところ、柳田国男氏の「海上の道」(青空文庫)の中に、次のような記述を見つけました。

記録としては久米島にただ一つ、残り伝わっているオトヂキョの神話が、日本の神代史の蛭子の物語と似通う節があることは、伊波君もすでに注意せられている。南の島々の父神は日輪であるが、その数ある所生の中に、生まれそこないのふさわぬ子があって、災いを人の世に及ぼす故に、小舟に載せて、これを大海に流すという点が、わが神代史の蛭子説話と、偶然の一致ではないように思われる。その仮定を確かめ得るものは、今後の多くのよその島々との比較であろうが、日本の内部においても、蛭子の旧伝には中世の著しい解釈の発展があって、それは必ずしも首都の神道の、関与しなかったもののように思われる。誰が最初に言い出したとも知れず、蛭子は後に恵比寿神となり、今では田穀の神とさえ崇められているが、その前は商賈交易の保護者、もう一つ前には漁民の祭祀の当体であり、その中間にはたぶん航路神としての信仰を経過している。

つまりここでは、(1)蛭子のエピソードには類話があること、(2)恵比寿様と一緒になる前に、複数のプロセスを経ていること、などが指摘されています。

(1)に関して、日本の南西諸島以外では、中国や台湾、東南アジアに似たお話があるようです(「兄妹始祖神話再考」)。こちらの文献によれば、完全な人間の代わりに生まれてきたものは、肉塊、ヒョウタン、動物など、いろいろです。そして、蛭子と同様に不完全な子として捨てられてしまう場合もあれば、捨てられず完全な人間の "種" のようになることもあります。肉塊を切り刻んでばら撒くと人間ができたり、ヒョウタンを畑で育てると人間が出てきたりします。

日本の神話で蛭子が流されるのは、妙に現実的で、シビアな感じがしますが、海外の神話では、先述のインカの "コン" も含め、蛭子 "的" な子供の運命はさまざまで、現実離れしたものも多く、興味深かったです。

中国や東南アジアの肉塊やヒョウタンは、今でいうiPS細胞みたいです。
インカの "コン" は、骨がないことが、逆に、超人の証のようです。
こんな荒唐無稽な話のなかには、大昔の人々が考えていた発生や進化のイメージが凝縮されているようにも感じました。

また、もしかすると蛭子のお話は、神話の中では割と新しくて、8世紀当時の人々の知識や考え方が強く反映されたものなのかも…?と、思いました。つまり、進化や発生の過程でより古いと思われる形の生き物が、人間の大元になったというアイデアが元々あって、それが、後になって生み損ないと解釈されるようになったのかも?と、大胆に想像しています。


ところで、そもそも、イザナミイザナギの神話が、アジア地域に沢山分布している「兄妹始祖神話」の1つだということも、初めて知りました。
日本オリジナルでは、ないようです。
でも、そうだとすれば、日本の本土に似たような話が残っていない(らしい)のも不思議な気がします。南西諸島の人が日本書紀を書いたのでしょうか…。