水神への生贄?(片目伝説5)
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柳田国男氏の「一目小僧」を、再読してみました…1つ、気になったところがあるので下に引用します。
…ただ祭の時、神と人との仲に立って意思の疎通を計った特殊の神主が、農業にとっては一番利害関係の大なる水の神の祭に、比較的ひろくかつ久しく用いられていたらしいことと、飲食音楽以外の方法で神の御心をやわらげ申すという、今日の人にはややにがにがしく感ぜられる思想が、特にこの方面に永く残っていたらしい…(柳田国男「一目小僧」)
柳田氏は、片目伝説を、田の神へ生贄を捧げていた名残と考えていたようです。
ちょっとびっくりするような話ですが、人柱や持衰も考えてみれば水の神に捧げていたわけだし…もしかしたら、そんなこともあったのかも…という気もしました。
前にも書いたとおり、Wikipedia等によれば、日本の片目伝説の起源は、2つの説がよく知られていますが…
- 日本の片目伝説の起源
1か2か、ではなく、もしかすると、1と2が混ざった可能性もあるなぁと思いました。
そうだとすれば…
一つ目の神様や鬼に関する日本最古の記録は、8世紀の「日本書紀」「出雲風土記」。
日本書紀には、鍛冶神「天目一箇神」の記載がある一方、「出雲風土記」には一つ目の人食い鬼「阿用郷の鬼」について書かれているそうです。
阿用郷の鬼を、1に関連するものと仮定すると、8世紀当時、1は既に零落して妖怪化していて…、一方、2は現役、かつ、国が公式に存在を認めていた…と、すれば、1は2よりも古い時代の出来事であったと考えられるでしょうか。
さらに、日本書紀のスポンサーは天孫一族で、彼らの最大のライバルが出雲族であったことを考慮すると、2は天孫族の信仰、1は出雲族の信仰であったと、考えることができるでしょうか…?
蛇足を重ねますが…、
古事記に、イクタマヨリヒメ(スエツミミの娘)が大物主(三輪山の蛇神)と結婚してオオタタネコという神様の祖先を産むお話があります。
三輪山の大物主は、天孫族以前に付近を治めていた王様で、出雲族出身だったと記憶しています。
(司馬遼太郎氏によれば、現地では「オオミワはんは、ジンムさんより先や」と、語り継がれているのだとか。)
ここにも、出雲出身の蛇神(水神)がでてきます。
水神に生贄を捧げて田の豊穣を願う信仰が、大昔の出雲族にあって、それが、天孫族の日本統一後、妖怪化したり、伝説や昔話に変わったのかな…なんて、想像を逞しくし(すぎ)てしまいました…。