陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

千羽鶴の今昔

祖母は折り紙が好きで、元気な頃はくす玉をたくさん折って家じゅうに飾っていました。

何となくそんなことを思い返していて、ふと、折り紙のくす玉の起源って…?と、疑問に思いました。でも、折り紙のくす玉は七夕飾りにすることが多いらしい…ということ以外には何もわかりませんでした。

何だかスッキリしなかったので、もっとメジャーな折り紙、千羽鶴のことを調べてみました。

千羽鶴で有名なのは、何といっても広島の佐々木禎子さん。彼女は2歳で被爆して12歳で白血病にかかり、病床で亡くなるまで鶴を折り続けたことが知られています。私も小学生くらいの頃に彼女のことを絵本で読んだのを覚えています。

インターネットを検索してみると、千羽鶴は禎子さんが起源という説もあるようでしたが…、どうやらそうではなく、千羽鶴はもっと昔からあったようです。

戦前の千羽鶴を描写した作品で、インターネット上で無料で読めるものを、2つ見つけました。

青空文庫「智恵子の紙絵」(高村光太郎)

国会図書館デジタルコレクション「合歓の並木」(加藤武雄)

読んでみると、当時の千羽鶴は今とは大分違っています。

どこが違うかというと、3点あって…

(1)折り鶴の数

今は1000羽そろえるのが一般的かと思います。結構大変なものですよね。場合によっては苦行にも感じられるくらいです。

ところが戦前は、数羽、数十羽でも複数の折り鶴がつながっていれば「千羽鶴」といっていたようです(!)。今より意味が広かったのですね。

例えば「合歓の並木」には、お婆さんと女の子が「千羽鶴」を作ろうと言って、50羽くらい鶴を折り、観音堂に納めるエピソードがあります。

「智恵子の紙絵」には、入院中の智恵子に千代紙を差し入れたら彼女が喜んで「千羽鶴」を折って病室の天井から吊るした、お見舞いのたび鶴が増えていた、というエピソードがあります。何羽とはっきり書いてはいないけれども、文脈から1000羽ではなく、数羽~多くても数十羽くらいと思われます。

なお、禎子さんの折り鶴の正確な数は不明で、諸説ありますが、大まかには1000羽前後です(Wikipedia)。

(2)鶴を折る目的

今では千羽鶴は、たいてい自分以外の誰かのため…言い換えれば利他的な願掛けのために折るものです。それに数が多いこともあって、単に自分の楽しみのために千羽鶴を折るケースは少ないかと思います。

ところが戦前は、上記2作品を読む限り、千羽鶴は自分の楽しみ、あるいは自分の願掛けのためのものでした。「智恵子の紙絵」では入院中の気晴らし(願掛けなし)、「合歓の並木」では楽しみと願掛けと半々といった雰囲気です。これだけで断定はできませんが…、当時は、今のように、他の人のために折る習慣はなかった可能性も考えられます。

禎子さんも自分で、病気平癒を願って鶴を折りました。もしかすると入院中の気晴らしという側面もあったのかもしれませんが…、最終的に彼女が残した1000羽前後という折り鶴の数には、病気が治るようにという強く切実な願いが現れているようです。

(3)保管場所

今の千羽鶴は贈り物として折られることが多く、人に贈る場合と、災害の被災地など、場所に贈る場合があります。

戦前の例をみると、「合歓の並木」ではお婆さんと女の子が自分たちの将来の幸福のために50羽ほどの千羽鶴を折って、観音堂に納めます。「智恵子の紙絵」では入院中の智恵子が気晴らしのために(おそらく数羽~十数羽の)千羽鶴を折って病室の天井に吊るします。

禎子さんも、折った鶴を病室の天井から吊るしていたそうです(広島平和記念資料館Web siteより)。

今でも千羽鶴を贈られた側は、病室に飾ったりお寺などに納めたりするので、この点は戦前と似ています。

 

以上のように、「智恵子の紙絵」「合歓の並木」を読む限り、戦前と今とでは、同じように「千羽鶴」といっても、折り鶴の数や折る目的が全然違っていたみたいです。

それに今では、千羽鶴は誰かのために折って贈り物にする習慣が一般的になっていますが、戦前にはこんな習慣はなかった可能性があります。

つまり、戦前→今という時代の流れの中で、千羽鶴もかなり変化してきたように思われます…。

その変化のきっかけの1つが禎子さんだったのかもしれません。彼女の時代の常識が戦前に近かったとすれば、その頃は1000羽もの鶴を折って願掛けをする人が少なかったので、なおさら注目されたのかも…と、想像されました。

別のきっかけとして、今の千羽鶴には、戦時中盛んに行われた千人針(Wikipedia)が影響したという説があるそうです。確かに、自分のためでなく人のために折って贈り物にするという特徴は千人針と共通するものです。

 

まとめると、今の千羽鶴は、戦前からあった「折り鶴の吊るし飾りに(自分のための)願掛けをする」風習が、千人針や禎子さんの影響を受けて「折り鶴1000羽を贈って(誰かのための)願掛けをする」と変化してきたものなのかな…と、思いました。

 

ところで、私は今日まで、千羽鶴といえば折り鶴のことだと思っていました。でも、そればかりではなく、鶴の群れのデザインも千羽鶴というようです。例えば川端康成千羽鶴」に「千羽鶴の風呂敷」というのが出てきます。

デザインと折り鶴とどちらが先なのでしょう。また、折り鶴に願いを込める信仰は、いつから始まったのでしょう? 江戸時代? もっと前? 謎です…。