「昔話の考古学 山姥と縄文の女神」
- 作者: 吉田敦彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1992/04
- メディア: 新書
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本書でも同じように、両者の類似点を検証して、さらに、大昔の日本でハイヌウェレ信仰が具象化されたものが、縄文時代の土偶であると述べています。
女性が子供を産むことと、作物がよく実ることとの間に、大昔の人々が、呪術的な関連性を見出して、そんな信仰が生まれたのでしょうか。
土偶は、縄文時代の中期(約5,500 - 4,500年前)から、日本の関東地方、東北地方、中部地方を中心にたくさん作られたそうです。
縄文時代から、栗などの栽培が行われていたことは、時々話題になりますが、土偶も、その証拠なのでしょうか。
土偶の出土が多い地域と、少ない地域で、人々の生活様式は異なっていたのでしょうか?
ところで、日本の、古事記や日本書紀には、ハイヌウェレによく似た「オオゲツヒメ」(古事記)と「ウケモチ」(日本書紀)が登場します。
オオゲツヒメやウケモチは、五穀(稲を含む)と養蚕の神=弥生の女神?と、いう印象がありましたが、実は、もっと古い神様だったかもしれないのですね。
そういえば、日本の山姥同様、女神の零落した姿であるという、ヨーロッパの「ホレおばさん」は、どんなルーツをもつ神様なのでしょうか?