陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

片目の神様のこと(7)

数えてみたらこのブログで片目の神様のことに触れるのは7回目でした。

柳田国男さんの「日本の伝説」に収録されている片目の蛇の話は、何だか「金枝篇」みたい?と思ったので、片目・一つ目のことを考察している別の本の該当箇所を見てみました。

山の神

山の神

 

1つ分かったのは、「古事記」「日本書紀」に、ヤマトタケルノミコトの進軍を邪魔した白鹿(山の神の化身)を、ミコトが蒜の枝で目を打って殺したという話があって。ここでは片目にはならないのですが、筆者はこれが片目伝説の記録された最も古い形と考えたようです。

蒜は「ひる」と読み、ニンニクのことらしいです。

大事な部分をちょっとだけ引用します。

右の挿話に従えば、山の神は目を射られて確かに「殺された」とはいえ、それにより本当に神の活動に終止符が打たれたわけではないので、この場合もともと殺害の話では少しもなく、片方の目の失明だけが伝えられたのではないかと考えたい。(中略)

これらの山の神は、敵対して征服された住民の神となっていた。この場合は、祀られている神の目の怪我の原因となった植物が、通常はひろく忌避されているのとは正反対である。(敵対する)神の目に当たった植物はこの神に対して威力があるとされる。そして右の挿話の舞台となっている地方が、現在二月八日に目籠や柊、葫を使って一つ目の疫病神を追い祓う地域の一部であることは注目に値する。

(ネリー・ナウマン「山の神」311ページより)

 *葫は「にんにく」と読むそうです。

 

こうなってくると、鬼を柊や桃で追い払うっていう話とも似ているなぁ…と思えてきます。でも、鬼を追い払う植物は、当たり前ですが、植えないとか育たないとかいう話にはならないところが片目伝説と違います。

鬼を柊で追い払うというのは、当然人間(討伐した)側から見た伝説ですが…、

 

片目の神様+植物禁忌の伝説は、鬼を追い払った出来事を、討伐された側から見た話なのでしょうか。

片目伝説に付随する植物禁忌は、ゴマだったり、大根だったり、キュウリだったり、生活に密着していて、手近にあったほうがいいものばかりで、栽培を禁止するのはそれなりの理由が必要なように思います。

それは滅ぼされてしまった古い神の供養なのでしょうか。(それとも、物語のまま考えるなら、九死に一生を得た神が二度と傷つけられないことを祈願しているのでしょうか。)

柳田国男さんの「日本の伝説」や「一つ目小僧その他」の片目の神様の項に、御霊信仰のことも詳しく述べられていて、両者は親和性があるらしいことがうかがえます。つまり、植物で目を怪我された神様というのは、御霊のような、祟り神のような側面があるのでしょうか。

 

片目というのは、急所を撃たれたことと、それでも完全にいなくなったわけではないという、境界的な存在であることを示しているのでしょうか。