陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

片目伝説(10)ヒトツモノ

先日書いた片目伝説(9)の、柳田国男さんに関する、下の部分の続きです。

柳田氏は、片目の神=大昔の生け贄という、ちょっとびっくりするような仮説を提唱しています。時代が下りその意味が忘れられて零落した姿が、妖怪・一つ目小僧だというのです。

この説には批判もありますが、角川ソフィア文庫「一目小僧その他」の解説によれば、解説者・鎌田久子氏の実家は代々「五郎つあま」と呼ばれ、長男でも五の字のつく名前を付けられ、当主あるいはその妻が片目になるという言い伝えがあり、神官ではないものの家の真後ろに氏神の諏訪様が祀られていたのだとか。柳田説と妙に符合する話で気になります。ひょっとしたら……と思わせます。

個人的にもう一つ気になるのは、柳田氏には生け贄説を思い付くような何か具体的理由があったのだろうかということ。

omn.hatenablog.com

具体的理由は、もしかしたら、今も日本各地にある「ヒトツモノ」が登場するお祭りだったのかもしれません。

ヒトツモノとは何か

ある種のお祭りに登場する神の依坐としての、お稚児さん、または人形、または植物(葦やススキ)を指します。元々は風流であるとの説もあるそう。

稚児などの扮装した人あるいは人形がヒトツモノと呼ばれ(中略)日本民俗学において依坐やその名残であるという説が定着しているが、元々は風流であるとの説もある。

(ヒトツモノ-Wikipediaより)

ja.wikipedia.org

各地の神事にヒトツモノと呼ばれ,必ず神前に供えられる1本のあしやすすきが登場する例がみられる。この片葉のカタは諸葉のモロ,すなわち2つということに対して1つを意味し,もとは尸童 (よりまし) が手に取った手草 (たぐさ) のことで……

(片葉の葦とは-コトバンクより)

kotobank.jp

ヒトツモノにはどういう意味があるのかということについて、こちらの考察が興味深かったです。京都の上賀茂神社では、ヒトツモノとは「料理をしないで供える神饌名」だったそうです。料理をしないで……つまり、生きたまま? こうなってくると、生け贄説は突飛とは思えません。

堀井令似知は、『京都のことば』(和泉書院、1988.11)で上賀茂神社のヒトツモノを紹介している。それは、料理をしないで供える神饌名であったという。この話は、ヒトツモノを考える上で大きなヒントになる。おそらく、ヒトツモノは祭礼に当たって神に献上する稚児であり、それ故に美々しく着飾って神事に参勤したのであろう。こうしたヒトツモノの役割が、祭礼の風流の一つ、神が依りつく稚児という二つの説を生み出していくことになるのである。(高砂市民俗調査より)

人がヒトツモノとなる事例

Wikipediaによれば、お稚児さんなどの人がヒトツモノとして登場するお祭りは近畿や香川県で行われています。

ヒトツモノ、あるいはヒトツモノであると考えられている行事がいくつかの地域で行われており、春日若宮神社奈良市)、懸神社(宇治市)、粉河産土神社(紀の川市)、曽根天満宮・荒井神社・高砂神社(高砂市)、射楯兵主神社・大塩天満宮姫路市)、琴弾八幡宮観音寺市)、熊岡八幡宮・宇賀神社(三豊市)などは人がヒトツモノとなる事例である。(ヒトツモノ-Wikipediaより)

上記引用文に挙がっていない事例として、

兵庫県宍粟市――波賀八幡神社

決められた家系あるいはその家が推薦した童子が特別な扮装をして馬に乗り(=一つ物)、渡御行列を先導する。童子は祭りの間は地面に足をつけてはならないことになっている(関西大学博物館彙報(2021年3月21日発行))。

人形をヒトツモノとしている事例

Wikipediaによれば、人形をヒトツモノとしている事例は、和歌山県茨城県、愛知県にあります。

熊野速玉大社(新宮市)、大宝八幡宮下妻市)、八王子社(江南市)などでは人形をヒトツモノとしている。

大宝八幡宮の事例では虫送りのような穢れを流す行事と人身御供譚の影響が見られる。 (ヒトツモノ-Wikipediaより)

茨城県下妻市――大宝八幡宮

一つ目のわら人形を奉じ注連たすきをかけた世話人が、氏子区域を練り歩き、人形を大宝沼(現在は糸繰川)に流して終わります。(大宝八幡宮Webサイトより)

www.daiho.or.jp

 

他に、次のような興味深い事例もあります。ヒトツモノとは呼ばれていないようですが、神の依坐役をする人が一つ目を模し、笠をかぶり、馬に乗るというところが、上記と似ているし、古くは人身御供そのものを模した神事が行われていたそうです。

千葉県袖ヶ浦市――坂戸神社

「一目御供」(選ばれた人が、穴を開けて一つ目を模した笠をかぶり、馬に乗って神前に向かう)の神事があり、また、もっと昔には「人身御供」(くじ引きで選ばれた村人を神主が包丁で切る真似をする)が行われていたことが、「房総志料」など郷土資料に出ているそう。

柳田国男氏の生い立ちとの関連性

柳田氏は著書の中でヒトツモノについて触れていて、このようなお祭りをよくご存じだったことが分かります。

この御社の古い方の神の依坐(ヨリマシ)は、御幣すなわちミテグラになっているのであったが、これにはまた現実の活きた人間を使うこともあった。神霊のこれに乗り移らせたもうた後、歩ませてまたは馬に乗せて、祭場に進む例は今でもまれでない。ヒトツモノというのが多くはこれであった。その一つ物も熊野の新宮のように、いつのころからか馬上の人形になっている所もある。そういう場合にはその人形の腰に挿しまたは笠の端につけた一種の神聖なる植物に、心霊が御依りなされるものと考えていたようである。(柳田国男「日本の祭」より)

dl.ndl.go.jp(47~48ページ)

 

その出身地である播州地方には、ヒトツモノが登場する祭礼が比較的多く分布しています。上記のとおり、Wikipediaには曽根天満宮・荒井神社・高砂神社(高砂市)、射楯兵主神社・大塩天満宮姫路市)が挙げられていますし、他には波賀八幡神社宍粟市)にもあります。

上に挙げた高砂市民俗調査によれば、「県下においては高砂市を中心に東播磨西播磨の一部に分布するに過ぎない」とあり、兵庫県内ではこの辺りに集中しているようです。

また、関西大学博物館彙報(2021年3月21日発行)によれば、「兵庫県南部の加古川市から赤穂市に至る地域には、祭りに一ツ物・頭人・馬乗り・カゲシなどと呼ばれる子どもが登場することは知られている」。

 

柳田氏の故郷は兵庫県神崎郡福崎町辻川で、地図を見るとまさに加古川市赤穂市の間、波賀八幡神社がある宍粟市のすぐ隣。

ここにも同様のお祭りがあったのかもしれないし、ひょっとすると、自ら稚児役をしたことがあるのかもしれません。想像をたくましくし過ぎでしょうか。

 

そして、柳田氏が12歳から多感な時期を過ごし、現在柳田國男記念公苑があるのが茨城県利根町。茨城と千葉の県境で、上に挙げた袖ケ浦市下妻市のちょうど中間付近です。ことによると、大宝八幡宮や坂戸神社で行われているようなお祭りも、経験されたのかもしれません。

 

全ては私の素人的想像で、何の直接的証拠もありませんが、もしこれらの祭礼をよく知っていたのであれば、生け贄説を考え付くのは自然かと思えました。