陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

「若い女はベッドの下に強盗がいるのを見つけたとき、どのように身を守ったか」

学生の頃に、友達の友達の先輩の話だけど…みたいな感じで、
<一人暮らしの女性の部屋のベッドの下に斧を持った男が隠れていた>という話をきいたことがあります。
初めて聞いた時は怖い!!と思いました。
その後TVで都市伝説と分かって二度ビックリしましたが、妙にリアルな感じがして、全くの嘘とは思えませんでした。

ところが、ラジオ「昔話へのご招待」で紹介されていた話型カタログ

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

国際昔話話型カタログ 分類と文献目録

によれば、「若い女はベッドの下に強盗がいるのを見つけたとき、どのように身を守ったか」(話型956D)
と集約される内容の昔話が、ヨーロッパ、中東、インド、アメリカ(スペイン系)、アフリカに分布しているそうです。
上の都市伝説?は、実は、何百年も前から知られていた、昔話の一種だったのかもしれません…。
元来伝播力があるので、日本で<一人暮らしの若い女性>&<部屋にベッドがある>という状況が一般化したのと同時に、広く流行したのかも…と、思います。


ところで、このカタログ(通称ATUカタログ)は、数年前、同ラジオの「夢の蜂」の回で聞いて以来、是非、自分の目で見てみたいと思っていました♪

普段の生活では気づきにくいことですが、昔話は、国や民族に関係なく世界じゅうに分布しているものが多く、「羽衣」「猿蟹合戦」のように、日本オリジナルと思えるような昔話でも、実は、世界中に類話があるのだそうです。
本書ではそんな類話を一つずつまとめて、番号をつけて、世界のどこに分布しているか記載しています。

たとえば、因幡の白兎がワニの背中を渡る話は、話型58としてまとめられていて、類話がアジア、アフリカ、チリ、アメリカ(アフリカ系)に分布しています。

地理的な広さも、時間的な奥行きも、縮めてしまう昔話って、本当に凄いなぁと思いました…。

適応能力?

年を取ると、新しい環境への適応能力が落ちるとよくききます。

新しい職場、新しい文化、新しい言葉、新しい土地…。
若い時には、ワクワクする気持ちの方が大きかったと思うのですが。

年々、実感することが多くなりました。
新しい環境に入ると、以前の自分が、夢のように消えてしまって、
あとに何も残っていないような気持ちになります。

なぜでしょうね。

脳の容量?メモリ?が、少なくなって、
新しいことを書きこむのに、労力を要しているのかもしれません。

ハイヌウェレ2

ハイヌウェレや、山姥の錦などのお話をきいていたら、鶴の恩返しを思い出しました。

それから、もしかして農耕が始まった頃には、豊作を願うために女性を捧げることがあって、
それはあんまりなので、代わりに土偶を作るようになったのかな…なんて、つい、想像を逞しくしてしまいました。

全く見当違いの妄想とは思いますが、そう考えると、何だか、土偶が身近に感じられます。
狩猟採集から農耕へと、社会が大きく変わったときの、人々の驚きが閉じ込められた存在のような気がして…。

ハイヌウェレ

ラジオ「昔話へのご招待」で大分前に放送された、「インドネシアの昔話」シリーズ5回目、6回目の「ハイヌウェレ」のお話をきいて、
なんとなく、女性は赤ちゃんを産むので、そこから、女性の体から食物や陶器が出てくるという連想になったのかな?という気がしました。

そんなことを考えながら何度もきいているうち、女性をかたどった縄文時代の土偶が思い出されました。

迷信と信仰

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版金枝篇(下)   ちくま学芸文庫 フ 18-2

初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2

今では迷信と言われるような、昔からの信仰は世界中にあるようです。
なぜ、そんな信仰が生まれたのか、想像もつきませんでしたが…、
この本には、その成立過程がとても分かりやすく書いてあります。

情報量が多くて、全部は読み通せていませんが、
時々手にとって、開いた部分を読むと、いろいろな想像が膨らみます。

たとえば、少女が女性になるときに、太陽から隠すという習俗があちこちにあるそうです。
日本の例は、残念ながらありませんでしたが、なんとなく、天岩戸のお話を思い出しました。

女の子がヒキガエルの皮をかぶるお話

母が読んでくれた本は、タイトルを覚えていませんが、昔話集のような感じで、沢山お話が入っていました。
いちばん印象深かったのは、女の子が山道をひとりで歩くので、ヒキガエルの皮をかぶって老婆に変身するというお話です。

どうして変身しないといけないのか、どうしてヒキガエルの皮なのか、どうして、それでおばあさんになれるのか…、
子供心に不思議なことばかりで、今でも覚えています。

小学校の前半くらいまで、寝る前に本を読んでもらった記憶があります。
私は、得意なことの少ない、成長の遅い(おそらく育てづらい)子供でしたが、一人遊びが好きだったこともあって、
なぜか、字を読むのだけは少しだけ得意で、本は小さなころからいろいろ読みました。
でも、母に読んでもらうのは、自分で読むのとは別の楽しさや嬉しさがあって、忘れられない思い出です。

後年になって、母は、嫌々早口で読んでいたと、自分で言っていましたが、
それでも、読んでもらえるだけで、嬉しかったものです。

昔話の伝承(個人的な覚書)

昔話の伝承について、個人的な記憶の覚書です…
といっても、今思えば、私が子供の頃には、もうほとんど廃れていたという、ちょっと悲しい思い出です。

私の郷里は、過疎化がすすんで学校が次々に廃校になっている、かなりのへき地にあります。
それでも、祖父母と同居した経験がないこともあって、口伝えに伝わってきた本当の昔話というのを、きいたことがありません。

ただ、母親は寝る前に本を読んで聞かせてくれましたし、伯父は遊びに行くと、やっぱり寝る前に出鱈目の昔話を聞かせてくれました。
なので、もしかすると、終戦前後に生まれた母や伯父は、子供の頃、口伝えの昔話をきいたことがあったのかもしれませんが、そうだとしても、内容を覚えるほど繰り返し聞いたのでは、なかったようです。

と、すれば、我が家では残念なことに、半世紀以上前に、伝承が途切れてしまったことになります。

ラジオ「昔話へのご招待」を、もし聞いていなかったら、そのことに気付くこともなかったと思います…
何しろ、昔話は本に書いてあるものだと、信じていましたので。

形式意志

ラジオ「昔話へのご招待」でお馴染みのエピソードの1つに、「もみの木と形式意志」があります。
最近では、先々週の放送でその話が出てきました。

小澤先生によれば、もみの木も、人間も、「自分はこうなりたい」という「形」があるそうです。

私はもう、「変化しない」年齢に近づきつつありますが…、
久々に、もみの木のお話をラジオで聴いて、今まで何度か同じ話を聴いているのですが、
改めて、自分がなりたかった形はどういうものだったのかな…と、心に残りました。


ところで、この回の放送では、「昔話は残酷と言われるが…」という、やはりお馴染みのテーマについても、年度が変わったので改めて解説がありました。
多くの大人がビックリしてしまう、「3本足の馬が走る」という描写の、子供の感じ方についての考察<うまくやったな!と、快哉を叫ぶような気持ち>が、とても印象深かったです。

確かに、昔話の馬が3本足でガッタガッタと走るように、大事な何かをなくしてしまうような不利な状況でも、自分でどうにか工夫しなければならないことは、人生でいろいろあるような気がします。