陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

「今昔物語集」拾い読み

今昔物語集」(現代語訳)を拾い読みしていて、本朝部と震旦部に似た話があるのを見つけました。

・本朝部(日本の説話) 巻第十四 第十三 入道覚念、法華を持して前世を知る語

・震旦部(中国の説話) 巻第七 第二十 沙弥、法華経を読むに二字を忘れ、ついに悟ることを得る語

 

どちらも、あるお坊さんが法華経の一部分だけどうしても覚えられず困っていたが、それは前世の因縁だったという内容で、紙を食べる虫「紙魚」が登場します。

ja.wikipedia.org

 

その前世の因縁とは、

・本朝部(日本の説話) お坊さんの前世が紙魚で、そのとき経典の中にいて、経典の一部を食い損じてしまった。経典の中にいたので人間に生まれ変わることができたが、前世で食い損じた部分を覚えることができない。

・震旦部(中国の説話) お坊さんの前世は女で、家に置いてあった経典の一部を紙魚が食べてしまった。男に生まれ変わって沙弥となったが、前世で紙魚が食べてしまった部分を覚えることができない。

 

 

どうやらこれは偶然似たのではないようです。

www.jstage.jst.go.jp

 

上の論文によれば、上記の本朝部の説話は、「今昔」より前、「大日本国法華経験記」という仏教説話集に採録されたのが最初で、同書の選者である鎮源というお坊さんが、中国唐代「弘賛法華伝」の説話を改変したものだということです。そしてその「弘賛法華伝」の説話が、震旦部に採録されているほうの説話だそう。

kotobank.jp

 

もともとの中国の説話では、紙魚が経典を食べてしまったのは、人間にはどうすることもできないアクシデントだったのに対して、改変された日本の説話は、前世が紙魚で(!)そのとき経典を食べたから今覚えられないという、自業自得のようになっているのが興味深いです。

 

今昔物語集を読んでいると、このような本朝部の自業自得系の説話は散見され、震旦部、天竺部にも悪いことをした人が報いを受ける話はありますが、それらとは少し雰囲気が違い、妙な迫力を感じます。この紙魚のお話にしてもそうですが、本来自分のせいではないことまで、現世の不幸・不運は全て前世の因縁、自業自得とされてしまう傾向があるような。

 

短絡的かもしれませんが、自己責任というワードが思い出されました。