陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

昔話の伝承(個人的な覚書)

昔話の伝承について、個人的な記憶の覚書です…
といっても、今思えば、私が子供の頃には、もうほとんど廃れていたという、ちょっと悲しい思い出です。

私の郷里は、過疎化がすすんで学校が次々に廃校になっている、かなりのへき地にあります。
それでも、祖父母と同居した経験がないこともあって、口伝えに伝わってきた本当の昔話というのを、きいたことがありません。

ただ、母親は寝る前に本を読んで聞かせてくれましたし、伯父は遊びに行くと、やっぱり寝る前に出鱈目の昔話を聞かせてくれました。
なので、もしかすると、終戦前後に生まれた母や伯父は、子供の頃、口伝えの昔話をきいたことがあったのかもしれませんが、そうだとしても、内容を覚えるほど繰り返し聞いたのでは、なかったようです。

と、すれば、我が家では残念なことに、半世紀以上前に、伝承が途切れてしまったことになります。

ラジオ「昔話へのご招待」を、もし聞いていなかったら、そのことに気付くこともなかったと思います…
何しろ、昔話は本に書いてあるものだと、信じていましたので。

形式意志

ラジオ「昔話へのご招待」でお馴染みのエピソードの1つに、「もみの木と形式意志」があります。
最近では、先々週の放送でその話が出てきました。

小澤先生によれば、もみの木も、人間も、「自分はこうなりたい」という「形」があるそうです。

私はもう、「変化しない」年齢に近づきつつありますが…、
久々に、もみの木のお話をラジオで聴いて、今まで何度か同じ話を聴いているのですが、
改めて、自分がなりたかった形はどういうものだったのかな…と、心に残りました。


ところで、この回の放送では、「昔話は残酷と言われるが…」という、やはりお馴染みのテーマについても、年度が変わったので改めて解説がありました。
多くの大人がビックリしてしまう、「3本足の馬が走る」という描写の、子供の感じ方についての考察<うまくやったな!と、快哉を叫ぶような気持ち>が、とても印象深かったです。

確かに、昔話の馬が3本足でガッタガッタと走るように、大事な何かをなくしてしまうような不利な状況でも、自分でどうにか工夫しなければならないことは、人生でいろいろあるような気がします。

「山月記」

中島敦「山月記」(青空文庫)

学生の頃、国語の教科書に載っていて、当時はなんとなく読んでいましたが、今また読むと、別の味わいがあります。
同じ作者の「李陵」「弟子」を読んでみたら、これまで、難しくてよくわからない…と思っていた、中国の歴史を勉強してみたくなりました。

日本が縄文時代弥生時代だった頃、既に中国は文字の記録があって、孔子の言葉などが詳しく残っているのは、考えてみると凄いことです。

ヒットの理由?

RPGゲームが発売30周年だそうです。
今日は、大ヒットしていた当時の映像がTVで繰り返し流れていました。

ところで…
ラジオ「昔話へのご招待」をきいていると、昔話の "文法" と、昔のファミコン・ゲームには、共通点があることに驚かされます。

昔話の "文法" とは、たとえば、同じ場面は同じ言葉で語る、風景の細かい描写はしない、孤立的に語る(例:森の中に家が一軒)、極端に語る(例:真っ黒、真っ白、真っ赤などの色の表現)、残酷な場面をリアルに語らない、などがあります。

昔のRPGゲームなどを楽しんだことのある人には、どれも、思い当たる特徴だと思います♪
当時は容量が限られていたので、必然的に上のような特徴を備えたと思われます。

人が口伝えで伝えてきた口承文芸である昔話も、時代・言語・地理的な距離を越えて伝播しやすいよう、情報が軽量化された結果、上のような "文法" ができたのかもしれません。

それから、RPGゲームでよくある「それぞれの特技をもつ仲間を集めながら旅をして、敵を倒す」という、桃太郎型のストーリーは、古来、日本だけでなく、世界的に人気があるそうです。

そんな昔話の特徴を知ると、大ヒットはある意味当然だったのかも…?と、少しだけ、謎が解けたような気持ちになります。

今年の(?)一番

今年観た映画で、一番良かったのは何かな?とふと思い、自分のブログを読み返しました。

古い映画ですが「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が印象に残っています。
自分が辛いときは、周りになかなか目がいかず、自分だけが苦しいと思ってしまいがちですが、
そんなときでも、自分が誰かを苦しめている可能性があることに、気づかせてくれた映画だからです。

マイライフ・アズ・ア・ドッグ Blu-ray

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「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモアは、「君は僕の足を見ているんだね」と言って、自殺してしまいましたが、自分だって、誰かの足を見ていることを、自覚できたら、そんなことをしなくても済んだのかも?と少し思いました。

「Ederlezi」(映画「ジプシーのとき」より)

ジプシーのとき

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  • アーティスト: ゴラン・ブレゴヴィッチ,サントラ
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1990/12/21
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劇中で使われている「Ederlezi」を、ふとしたきっかけで知り、大好きになりました。
久々に聴いてみると、やっぱり素晴らしいです。

Ederleziは、Wikipediaによれば、バルカン半島に住むロマ族の民謡で、St. George(ロマ語で "Ederlezi")をまつる5月6日の春祭から名づけられた曲、だそうです。

春祭といっても、ヴィヴァルディの「四季」のような明るい喜びにあふれた感じではなくて、春の命の蘇りに、身体じゅうで一体化しようとするような、呪術的な雰囲気をもったエネルギッシュな曲です。

サオ・ロマ・バボ・バボ…♪ と、歌詞の意味はサッパリ分からないのに、なぜか、一緒に歌いたくなります。
(歌っているうちに気づきましたが、日本語同様、母音の多い言葉なので、口ずさみやすいのかもしれません。)

残念ながら、映画は未見です。DVD化もされてないようなので、放送を待っています。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985、スウェーデン)

マイライフ・アズ・ア・ドッグ [DVD]

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家族の危機に見舞われた12歳の少年の心の成長を描いた作品です。
主演の男の子の表情がとてもよかったです。どこかで会ったような、誰かに似ているような懐かしい感じのする俳優さんでした。
映画は、過去と現実を行き来しながら進むので、最初は、ちょっと分かりづらい?と思いましたが、その分、繰り返して観る楽しみがあります。

主人公のイングマル少年は、辛いことがあるたびに、宇宙船に乗せられて餓死してしまったライカ犬に思いを馳せます。どんなに悲しくても「ライカ犬よりマシ」と自分を慰めます。
どうにもならない運命に翻弄される犬と、自分の境遇が似ていて、仲間のように感じられたのだと思います。

イングマルが、ある時点で、ライカ犬を宇宙に送った人々は、最初から犬を助けるつもりなんてなかったんだ(´・ω・`) と気付くところが、とてもリアルに感じられました。
私は鈍感なので、子供のころにはこういうことに全く気付かず、幸せに過ごしていましたが…、大人になって大分経ってから、アレッ!?と思うことが時々あります…。

ライカ犬を見殺しにした人々と、可愛がっていた飼い犬シッカンを助けられなかった自分が重なったとき、少年の "犬としての人生" は終わったのかな…と思いました。

「ラバー」(2010、フランス)

ラバー [DVD]

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意志を持ったタイヤが殺戮を繰り返すという荒唐無稽な設定の、ホラー・コメディ映画です。

TVを見たり、シャワーを浴びたり、プールに飛び込んだりするタイヤ(殺人犯)がだんだん可愛く見えてきてしまって、我ながら大丈夫かな?と思いました。

タイヤを遠くから双眼鏡で観察している人々の群れが、何を表わしていたのか、ちょっと気になりました。
なんとなく、何かの心理実験みたいな感じもしました。


設定に意味はないと、冒頭とエンディングで何度も繰り返していましたが…、そんなに念押しされると、逆に、疑わしく思えてきます。

考えてみれば、無差別な殺戮は人類の歴史でたびたび起きています。それを遠くから観察することも、技術の進歩で、どんどん簡単になっています…。

「自転車泥棒」(1948、イタリア)

自転車泥棒 [DVD]

自転車泥棒 [DVD]

映画やドラマをみていると、ちょっとした挨拶なんかでも、登場人物達の話す言葉や表情、動作はとても洗練されていて、その状況で最良の選択をしているように見えることがあります。
自分も、あんなふうにできたら…と、憧れることも、しばしばです。

でも、昨日観た映画「自転車泥棒」は、上のような感じは全くなくて、人々が迷いながら、話したり動いたりしている様子は、何だか自分と同じみたいだな…と思いました。

ストーリーは、失業中のお父さんがポスター貼りの仕事をゲット!するところから始まります。その仕事には自転車が必要なのですが、お金のない一家は自転車を質に入れてしまっていました。仕方なく、お母さんの嫁入り道具のシーツを質に入れて、そのお金で自転車を受け出します。ところが、仕事の初日に大事な自転車が盗まれてしまいます…。

お父さんが、自転車が見つからなくて、最初は信じていなかった占い師に頼ってしまうところと、父子でレストランに入る場面が好きです♪

「ハーメルンの笛吹き男」

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

昔、ドイツのハーメルンの住人が、鼠捕り男に約束の報酬を支払わなかったので、町中の子供を連れて行かれてしまったという伝説についての考証です。
事件が起きたとされる中世ドイツの社会状況を丹念に調べ、歴史家がどう解釈してきたか紹介しています。情報量が多くて、難しいところがたくさんあったので、折に触れて何度でも読んでみたいと思っています。

一番驚いたのは、上の伝説に類話があるという事実です。本文中に、欧州の近隣諸国に伝わる8つの類話が紹介されています。

話は飛びますが、私の郷里には、鬼の伝説が伝わっています。これに類話があるなんて考えたこともなかったのですが、ふと調べてみたら見つかりました。鬼でなく、竜の伝説として日本中に広く分布しているようでした。
(さらに脱線しますが、数ある類話のなかで、郷里の伝説と類似点の多いものが、郷里から遠く離れたA地方に見つかりました。よく調べてみると、郷里とA地方とは、当時さまざまな関わりをもち、盛んに人が往来していたようでした。つまり、郷里の鬼伝説ができるのに、A地方由来の勢力が関わった可能性があると思います。そうだとすれば、そんな人工的なエピソードがなぜできたのか、ちょっとミステリアスです。)

こうした伝説に、もとになる歴史的な事実があったとすれば、それは忘れられ、事実に取って代わった伝説が痕跡になって生き残ってきたということになります。人々の記憶というのは不思議だなぁ…と、つくづく思いました。