陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

ハイヌウェレ2

ハイヌウェレや、山姥の錦などのお話をきいていたら、鶴の恩返しを思い出しました。

それから、もしかして農耕が始まった頃には、豊作を願うために女性を捧げることがあって、
それはあんまりなので、代わりに土偶を作るようになったのかな…なんて、つい、想像を逞しくしてしまいました。

全く見当違いの妄想とは思いますが、そう考えると、何だか、土偶が身近に感じられます。
狩猟採集から農耕へと、社会が大きく変わったときの、人々の驚きが閉じ込められた存在のような気がして…。

ハイヌウェレ

ラジオ「昔話へのご招待」で大分前に放送された、「インドネシアの昔話」シリーズ5回目、6回目の「ハイヌウェレ」のお話をきいて、
なんとなく、女性は赤ちゃんを産むので、そこから、女性の体から食物や陶器が出てくるという連想になったのかな?という気がしました。

そんなことを考えながら何度もきいているうち、女性をかたどった縄文時代の土偶が思い出されました。

迷信と信仰

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)

初版金枝篇(下)   ちくま学芸文庫 フ 18-2

初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2

今では迷信と言われるような、昔からの信仰は世界中にあるようです。
なぜ、そんな信仰が生まれたのか、想像もつきませんでしたが…、
この本には、その成立過程がとても分かりやすく書いてあります。

情報量が多くて、全部は読み通せていませんが、
時々手にとって、開いた部分を読むと、いろいろな想像が膨らみます。

たとえば、少女が女性になるときに、太陽から隠すという習俗があちこちにあるそうです。
日本の例は、残念ながらありませんでしたが、なんとなく、天岩戸のお話を思い出しました。

女の子がヒキガエルの皮をかぶるお話

母が読んでくれた本は、タイトルを覚えていませんが、昔話集のような感じで、沢山お話が入っていました。
いちばん印象深かったのは、女の子が山道をひとりで歩くので、ヒキガエルの皮をかぶって老婆に変身するというお話です。

どうして変身しないといけないのか、どうしてヒキガエルの皮なのか、どうして、それでおばあさんになれるのか…、
子供心に不思議なことばかりで、今でも覚えています。

小学校の前半くらいまで、寝る前に本を読んでもらった記憶があります。
私は、得意なことの少ない、成長の遅い(おそらく育てづらい)子供でしたが、一人遊びが好きだったこともあって、
なぜか、字を読むのだけは少しだけ得意で、本は小さなころからいろいろ読みました。
でも、母に読んでもらうのは、自分で読むのとは別の楽しさや嬉しさがあって、忘れられない思い出です。

後年になって、母は、嫌々早口で読んでいたと、自分で言っていましたが、
それでも、読んでもらえるだけで、嬉しかったものです。

昔話の伝承(個人的な覚書)

昔話の伝承について、個人的な記憶の覚書です…
といっても、今思えば、私が子供の頃には、もうほとんど廃れていたという、ちょっと悲しい思い出です。

私の郷里は、過疎化がすすんで学校が次々に廃校になっている、かなりのへき地にあります。
それでも、祖父母と同居した経験がないこともあって、口伝えに伝わってきた本当の昔話というのを、きいたことがありません。

ただ、母親は寝る前に本を読んで聞かせてくれましたし、伯父は遊びに行くと、やっぱり寝る前に出鱈目の昔話を聞かせてくれました。
なので、もしかすると、終戦前後に生まれた母や伯父は、子供の頃、口伝えの昔話をきいたことがあったのかもしれませんが、そうだとしても、内容を覚えるほど繰り返し聞いたのでは、なかったようです。

と、すれば、我が家では残念なことに、半世紀以上前に、伝承が途切れてしまったことになります。

ラジオ「昔話へのご招待」を、もし聞いていなかったら、そのことに気付くこともなかったと思います…
何しろ、昔話は本に書いてあるものだと、信じていましたので。

形式意志

ラジオ「昔話へのご招待」でお馴染みのエピソードの1つに、「もみの木と形式意志」があります。
最近では、先々週の放送でその話が出てきました。

小澤先生によれば、もみの木も、人間も、「自分はこうなりたい」という「形」があるそうです。

私はもう、「変化しない」年齢に近づきつつありますが…、
久々に、もみの木のお話をラジオで聴いて、今まで何度か同じ話を聴いているのですが、
改めて、自分がなりたかった形はどういうものだったのかな…と、心に残りました。


ところで、この回の放送では、「昔話は残酷と言われるが…」という、やはりお馴染みのテーマについても、年度が変わったので改めて解説がありました。
多くの大人がビックリしてしまう、「3本足の馬が走る」という描写の、子供の感じ方についての考察<うまくやったな!と、快哉を叫ぶような気持ち>が、とても印象深かったです。

確かに、昔話の馬が3本足でガッタガッタと走るように、大事な何かをなくしてしまうような不利な状況でも、自分でどうにか工夫しなければならないことは、人生でいろいろあるような気がします。

「山月記」

中島敦「山月記」(青空文庫)

学生の頃、国語の教科書に載っていて、当時はなんとなく読んでいましたが、今また読むと、別の味わいがあります。
同じ作者の「李陵」「弟子」を読んでみたら、これまで、難しくてよくわからない…と思っていた、中国の歴史を勉強してみたくなりました。

日本が縄文時代弥生時代だった頃、既に中国は文字の記録があって、孔子の言葉などが詳しく残っているのは、考えてみると凄いことです。

ヒットの理由?

RPGゲームが発売30周年だそうです。
今日は、大ヒットしていた当時の映像がTVで繰り返し流れていました。

ところで…
ラジオ「昔話へのご招待」をきいていると、昔話の "文法" と、昔のファミコン・ゲームには、共通点があることに驚かされます。

昔話の "文法" とは、たとえば、同じ場面は同じ言葉で語る、風景の細かい描写はしない、孤立的に語る(例:森の中に家が一軒)、極端に語る(例:真っ黒、真っ白、真っ赤などの色の表現)、残酷な場面をリアルに語らない、などがあります。

昔のRPGゲームなどを楽しんだことのある人には、どれも、思い当たる特徴だと思います♪
当時は容量が限られていたので、必然的に上のような特徴を備えたと思われます。

人が口伝えで伝えてきた口承文芸である昔話も、時代・言語・地理的な距離を越えて伝播しやすいよう、情報が軽量化された結果、上のような "文法" ができたのかもしれません。

それから、RPGゲームでよくある「それぞれの特技をもつ仲間を集めながら旅をして、敵を倒す」という、桃太郎型のストーリーは、古来、日本だけでなく、世界的に人気があるそうです。

そんな昔話の特徴を知ると、大ヒットはある意味当然だったのかも…?と、少しだけ、謎が解けたような気持ちになります。

今年の(?)一番

今年観た映画で、一番良かったのは何かな?とふと思い、自分のブログを読み返しました。

古い映画ですが「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が印象に残っています。
自分が辛いときは、周りになかなか目がいかず、自分だけが苦しいと思ってしまいがちですが、
そんなときでも、自分が誰かを苦しめている可能性があることに、気づかせてくれた映画だからです。

マイライフ・アズ・ア・ドッグ Blu-ray

マイライフ・アズ・ア・ドッグ Blu-ray

「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモアは、「君は僕の足を見ているんだね」と言って、自殺してしまいましたが、自分だって、誰かの足を見ていることを、自覚できたら、そんなことをしなくても済んだのかも?と少し思いました。