陽だまり日記

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大好きな本や映画のことなど

ふと思ったこと

ラジオ「昔話へのご招待」で、沖縄やアイヌの昔話を聞いていてふと思ったのですが、どちらも本土のお話と似ているところと、違っているところがあるようです。

ところで、言語学的には、沖縄の言葉と日本語は同系統で、アイヌ語と日本語は別系統です。

言語学的な近さと、昔話の類似は、相関があるのでしょうか、ないのでしょうか?

それに考えてみたら、沖縄語は、本州や九州と地理的に離れた場所で話されていたのに対して、アイヌ語は、北海道は沖縄より随分本州に近いし、アイヌ人と和人はもともとは本州で共存していたと聞いたような…?(違ったらごめんなさい)

言語学的な距離と、地理的な距離はあまり関係ないのでしょうか? それとも、一方は地理的に離れていても交流があり、他方はご近所でも付き合いをしていなかったのでしょうか? 不思議です。

「君の名は。」

 映画「君の名は。」をやっと観ました。

若者に大ヒットと聞いて、ついていけるかな…と少し不安でしたが、大丈夫でした(笑)。とても面白かったです!

あの日あの時あの場所にいなかったら…という思いは、世代をこえて、皆が持っているのでしょうか。

日本も災害の多い国ですし、子どもの頃からいろいろな情報に触れて育つので、もう共有のトラウマみたいになっているのかもしれません。

 

ただ、私が子どもの頃は、そのトラウマは、どちらかというと過去のものでした。

過去は変えられないので、例えファンタジーでも、過去を改変するストーリーでそうした傷に触れてくる作品が、大きく成功するようなことはなかったと思います。(あったらごめんなさい。)おぼろげに覚えているのは、変えようとして失敗するTVドラマはあったような…。

 

一方、不幸な未来を回避する作品はいくつかありました。

例えば、ゲームですが、「クロノ・トリガー」。

こちらも赤い星が出てきます。

アルティメット ヒッツ クロノ・トリガー

アルティメット ヒッツ クロノ・トリガー

 

一昔前は、恐ろしい過去は遠ざかりつつありましたし、未来への不安ははっきりとした形を取っていませんでした。

名作になったクロノ・トリガーは、有名な1999年の予言がモチーフになっていました。多分、よく知られた予言の助けを借りて説得力を増していました。今思うと平和な時代でした。

 

君の名は。」は、少年と少女の時間軸がずれています。だから、変えるのは近未来であり、近過去であり、現在でもあります。

そこにリアリティーが生まれるのは、一昔前と違って、今は、ついこの間起きたとても悲しいことがまたすぐに起きるかもしれない、でも起きないでほしいという、そんな気持ちをたくさんの人が持っているからかな…と、思いました。

 

ところで、もう1つ思い出した作品があります。

やまざき貴子さんの「ZERO」です。

前世の夢を見るというところが少し「君の名は。」と似ています。

ストーリーは、最初のほうはよく覚えていますが、ラストは忘れてしまいました。処分しないで取っておけば良かったです…。

 

迷宮

小中学生時代をチェコで過ごした米原万里さんは、著書「パンツの面目 ふんどしの沽券」の中で、日本女性の羞恥心は複雑に入り組んでいて、まるで "迷宮" のようだと表現しています。

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

 

たとえば、公衆浴場での振る舞い。脱衣所で服を脱ぐことは全く恥ずかしがらないのに、全部脱いでからタオルで前を隠す不思議。確かに…。私も今は何とも思いませんが、子供の頃は、完全に隠せないタオルで隠す(フリをする)のは、何だかかえって気まずいような変な感じがしたものです。

また別の例で、学校のトイレでの不文律。誰が用足しに行ったか周囲に悟られないために友達同士トイレに付き添う習慣と、付き添いの友達に用足しの音を聞かれたくなくて個室内で水を流し続ける矛盾。これも、確かに…。ただ、私の経験ではこの習慣は個人差がありましたし、子供の頃は、誰でもすることを恥ずかしがるのは、自意識過剰を宣伝しているみたいで逆に恥ずかしいという気持ちもありました。「音姫」も最初は使うこと自体が恥ずかしいように感じましたが、今では普通に使います。

こうして書いてみると、本当に迷宮のようです…。

でも、もしかすると、問題は羞恥心ではないのかも…?と、ふと思いました。

同じ本によれば、日本では戦後間もない頃までは、着物の裾を端折ったり時には素っ裸で畑仕事をするのが普通だったけれども、進駐軍に配慮して自主規制するようになったのだそうです。

それと同じで、公衆浴場やトイレでの振る舞いも、自分の羞恥心というより、その場を構成する他人への配慮が原動力になっているのではないでしょうか。脱衣所ではモタモタすれば迷惑なのでサッサと脱ぎ、脱いだら見苦しくないよう前を隠す…。教室では用足しに立つのが人目につかないよう気を遣い、トイレでは友達に聞き苦しい音が聞こえないように配慮する…。場面が変われば当然対応も変わるので、当人の羞恥心を基準にすると一貫性がなくなってしまうのでしょう。

 

少々飛躍するかもしれませんが、こんなふうに周囲への配慮を重視するあまり矛盾を生じてしまうという問題は、最近のノンアルコール飲料の問題にもつながっているような気がしました。そもそもノンアル飲料は酒宴の場で飲める人・飲めない人の差がお互いを気まずくさせないために発明されたものかと思いますが、職場では逆に無用な誤解を生む恐れがあるので0.00%であっても飲まないという判断が一般的になりつつあるようです。この新常識(?)も、今は議論を呼んでいるし、私自身も、判断は人それぞれで良いのでは…と戸惑う気持ちがあります。でも、職場や運転中など、飲酒が禁忌の場面で紛らわしい行動をとれば見た人をギョッとさせてしまうかもしれないし、もっと言えば故意に驚かせていると受け取られる可能性があります。周囲への配慮を何よりも優先する文化では、確かに受け入れがたく非常識なことなのかもしれません。0.00%なのになぜダメなの…と今は不思議に思うことがあっても、時間がたてば音姫と同じように文化の一部になるのかもしれません。

 

ところで本の話に戻ると、公衆浴場での日本女性のふるまいを米原さんは「一種のコケットリーではないか」と書いておられたのが、印象的でした。結果的にそうなっているだけなのですが、別の文化を持つ人にそう見えてしまうのは驚きです。

それから笑うときに口元を隠すのは日本人くらいだというのも意外でした。(昔のお歯黒と関係があるのでしょうか?)この日本の習慣は、帰国子女の米原姉妹には異様で気味悪く映ったそうです。何が人を驚かせるかって、本当に分からないものですね…。

馬のお婿さん

ラジオ「昔話へのご招待」『中国の昔話 4』の「馬の頭をした娘」を聞きなおしていて、なんだか日本の「猿婿」や「蛇婿」と似ているなぁ…と、思いました。

どこが似ているかというと…

 

人間「〇〇してくれたら、娘と結婚させる(お嫁さんになる)」と、動物に提案

動物が〇〇してくれて、婿になろうとする

人間に殺される

 

という、動物にとって非常に理不尽な展開です。

 

なぜこんなことになってしまったかというと…

日本の「猿婿」などについては、ラジオの小澤先生の解説によれば、日本人の信仰が時代と共に変わってきたことを示しているそうです。

つまり、大昔の日本人にとって動物は神様だったので(物語上)結婚OKだったけれども、その後仏教伝来で畜生になってしまったので結婚NGになってしまった、という変化が、上記の理不尽な展開に反映されているらしいのです。

 

中国にも日本と同じような展開の昔話があるということは、中国でも日本同様、信仰の変化があったと考えてよいのでしょうか?

 

そうだとすれば、前から少し疑問に思っているのですが、仏教の不殺生はどこにいってしまったのでしょう。仏教の本場・インドにも、日本や中国のように動物のお婿さんを理不尽に殺してしまう昔話があるのでしょうか?

 

考えてみれば神様に対して「〇〇してくれたら娘を嫁に」なんていう取り引きを持ち掛けるのはいかがなものか…という気もしました。でも蛇が殺されることなく最後まで神様として出てくる古事記の「蛇婿」にはこの部分はなかったと思うので、取り引きは退治の前振りとして付け加えられたのかな?とも思いました。

 

なんだか、いろいろなことが気になってしまいました。

千羽鶴の今昔

祖母は折り紙が好きで、元気な頃はくす玉をたくさん折って家じゅうに飾っていました。

何となくそんなことを思い返していて、ふと、折り紙のくす玉の起源って…?と、疑問に思いました。でも、折り紙のくす玉は七夕飾りにすることが多いらしい…ということ以外には何もわかりませんでした。

何だかスッキリしなかったので、もっとメジャーな折り紙、千羽鶴のことを調べてみました。

千羽鶴で有名なのは、何といっても広島の佐々木禎子さん。彼女は2歳で被爆して12歳で白血病にかかり、病床で亡くなるまで鶴を折り続けたことが知られています。私も小学生くらいの頃に彼女のことを絵本で読んだのを覚えています。

インターネットを検索してみると、千羽鶴は禎子さんが起源という説もあるようでしたが…、どうやらそうではなく、千羽鶴はもっと昔からあったようです。

戦前の千羽鶴を描写した作品で、インターネット上で無料で読めるものを、2つ見つけました。

青空文庫「智恵子の紙絵」(高村光太郎)

国会図書館デジタルコレクション「合歓の並木」(加藤武雄)

読んでみると、当時の千羽鶴は今とは大分違っています。

どこが違うかというと、3点あって…

(1)折り鶴の数

今は1000羽そろえるのが一般的かと思います。結構大変なものですよね。場合によっては苦行にも感じられるくらいです。

ところが戦前は、数羽、数十羽でも複数の折り鶴がつながっていれば「千羽鶴」といっていたようです(!)。今より意味が広かったのですね。

例えば「合歓の並木」には、お婆さんと女の子が「千羽鶴」を作ろうと言って、50羽くらい鶴を折り、観音堂に納めるエピソードがあります。

「智恵子の紙絵」には、入院中の智恵子に千代紙を差し入れたら彼女が喜んで「千羽鶴」を折って病室の天井から吊るした、お見舞いのたび鶴が増えていた、というエピソードがあります。何羽とはっきり書いてはいないけれども、文脈から1000羽ではなく、数羽~多くても数十羽くらいと思われます。

なお、禎子さんの折り鶴の正確な数は不明で、諸説ありますが、大まかには1000羽前後です(Wikipedia)。

(2)鶴を折る目的

今では千羽鶴は、たいてい自分以外の誰かのため…言い換えれば利他的な願掛けのために折るものです。それに数が多いこともあって、単に自分の楽しみのために千羽鶴を折るケースは少ないかと思います。

ところが戦前は、上記2作品を読む限り、千羽鶴は自分の楽しみ、あるいは自分の願掛けのためのものでした。「智恵子の紙絵」では入院中の気晴らし(願掛けなし)、「合歓の並木」では楽しみと願掛けと半々といった雰囲気です。これだけで断定はできませんが…、当時は、今のように、他の人のために折る習慣はなかった可能性も考えられます。

禎子さんも自分で、病気平癒を願って鶴を折りました。もしかすると入院中の気晴らしという側面もあったのかもしれませんが…、最終的に彼女が残した1000羽前後という折り鶴の数には、病気が治るようにという強く切実な願いが現れているようです。

(3)保管場所

今の千羽鶴は贈り物として折られることが多く、人に贈る場合と、災害の被災地など、場所に贈る場合があります。

戦前の例をみると、「合歓の並木」ではお婆さんと女の子が自分たちの将来の幸福のために50羽ほどの千羽鶴を折って、観音堂に納めます。「智恵子の紙絵」では入院中の智恵子が気晴らしのために(おそらく数羽~十数羽の)千羽鶴を折って病室の天井に吊るします。

禎子さんも、折った鶴を病室の天井から吊るしていたそうです(広島平和記念資料館Web siteより)。

今でも千羽鶴を贈られた側は、病室に飾ったりお寺などに納めたりするので、この点は戦前と似ています。

 

以上のように、「智恵子の紙絵」「合歓の並木」を読む限り、戦前と今とでは、同じように「千羽鶴」といっても、折り鶴の数や折る目的が全然違っていたみたいです。

それに今では、千羽鶴は誰かのために折って贈り物にする習慣が一般的になっていますが、戦前にはこんな習慣はなかった可能性があります。

つまり、戦前→今という時代の流れの中で、千羽鶴もかなり変化してきたように思われます…。

その変化のきっかけの1つが禎子さんだったのかもしれません。彼女の時代の常識が戦前に近かったとすれば、その頃は1000羽もの鶴を折って願掛けをする人が少なかったので、なおさら注目されたのかも…と、想像されました。

別のきっかけとして、今の千羽鶴には、戦時中盛んに行われた千人針(Wikipedia)が影響したという説があるそうです。確かに、自分のためでなく人のために折って贈り物にするという特徴は千人針と共通するものです。

 

まとめると、今の千羽鶴は、戦前からあった「折り鶴の吊るし飾りに(自分のための)願掛けをする」風習が、千人針や禎子さんの影響を受けて「折り鶴1000羽を贈って(誰かのための)願掛けをする」と変化してきたものなのかな…と、思いました。

 

ところで、私は今日まで、千羽鶴といえば折り鶴のことだと思っていました。でも、そればかりではなく、鶴の群れのデザインも千羽鶴というようです。例えば川端康成千羽鶴」に「千羽鶴の風呂敷」というのが出てきます。

デザインと折り鶴とどちらが先なのでしょう。また、折り鶴に願いを込める信仰は、いつから始まったのでしょう? 江戸時代? もっと前? 謎です…。

言語の距離

大好きなラジオ「昔話へのご招待」の今週のゲストは斎藤惇夫さんだそうです。

斎藤惇夫さんの「ガンバとカワウソの冒険」は子供時代に繰り返し読んだ思い出深い一冊です!

ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)

ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)

 

野犬の出てくるシーンが怖くて。当時小学生で、野犬(やけん) という単語を知らず、読み方もわからなかったので、余計怖かったのを覚えています。

 

ところで「昔話へのご招待」では、最近、モンゴル・ハンガリーフィンランドが特集されています。この3国は距離的に離れていますが、もとはウラル山脈のふもとにいた人々が移動したので、言語学的に近い関係にあるそうです。

というお話をきくと、司馬遼太郎さんがモンゴル語と日本語は「語順が同じ」と書かれていたのを思い出してなんだか親近感を覚えます。

でも考えてみると、日本語はモンゴル語朝鮮語と語順が同じと言われているのに、同じ語族とはみなされていません。言語の距離は、語順をあまり重視しないのでしょうか?

なんとなく気になってインターネットを検索してみたら、言語の距離は、学習のしやすさ・習得のはやさで測る方法があるようでした。たとえば、日本語を母語とする人と、英語を母語とする人がいて、フランス語を学習する場合どちらが早いかということ。

つまり、言語の距離は一つのパラメーターで決まるのではなく、語順、語彙、発音、聞きやすさなどが複雑に絡み合っているもの、なのかもしれません。

そうなってくると、たとえばヨーロッパの言葉でも母音の多い言葉のほうが日本語に近い、ということになるのかも?と想像すると、何だか面白いです。地中海の線文字Bは日本語と同じ音節文字だったといいますし…。

「君はだぁれ?」

「君はだぁれ?」を読みました。イタリアの作家さんの小説です。図書館で偶然見つけて、表紙の絵が可愛らしかったので、思わず手に取りました。

君はだぁれ?

君はだぁれ?

 

(主人公が何の動物か、物語の途中まで伏せられているので、表紙に描かれているのは少し残念に思いました。)

主人公が自分の属する社会に裏切られて心のバランスを崩すシーンと、その後、社会から逃げ出して姿の見えないモグラたちと対話しながら「自分は誰でもない」と気付いたときに、自分に翼があったことを思い出すというエピソードが印象的でした。

集団に属することによる気持ちの安定と…、集団に圧倒されて精神を病んでしまうこと、そこから自分の道を見つけ出すことは、とても古くて、新しいテーマだなぁと感じます。飛躍してしまうかもしれませんが、多神教一神教というのは、こんな人間の葛藤を反映しているような気がしてなりません。

ルーム(2015、カナダ・アイルランド)

映画「ルーム」を観ました。

ルーム [DVD]

ルーム [DVD]

 

父親が実の娘を地下室に監禁していたという、とんでもない実話にもとづいているというので、映画もシビアなストーリーを予想していたのですが…、

献身的に母親を助ける主演の男の子が、妖精みたいに可愛らしくて、サスペンスというより、癒しの映画だなぁと思いました。

「神、人を喰う - 人身御供の民俗学」

博士論文の書籍化なので、はじめは難しいかな?と思ったけれど、 人身御供や人柱の、研究の歴史が素人にも分かりやすく説明されていて、無理なく最後まで読めました♪

神、人を喰う―人身御供の民俗学

神、人を喰う―人身御供の民俗学

 

人身御供の伝説や昔話は、今でも、沢山語り継がれていますし、人身御供を模したお祭りも数多くあります。

それは、突き詰めると、人々の中にある、根源的な暴力への欲求を表したものだと、作者は結論付けたようです。

 

ここからは、私の考えです。

人身御供は、本人にとっては他者の利益のために自分の命を差し出すことであり、それ以外にとっては、自分(達)の利益のために他人の命を奪うことです。

その利益とは、五穀豊穣、災害の防止や鎮圧など。

…つまり、自殺 or 殺人により、自然をコントロールできるという考え方です。どうして繋がるの?と、不思議に思いますが、それこそ、"神の嫁" であったり、"穀物神の死と再生" であったり、さまざまな信仰が介在しているのだと思います。

でも…、そんなややこしい間接的な信仰が、最初からあったのでしょうか…。

日々食べられるかどうかという生活では、人身御供の直接の利益は、まず、飢餓を癒すため、食べるためだと思うのです…。あるいは、船上で嵐に見舞われた際には、乗組員を減らして船体を軽くするための人身御供が、あったと思います…。当初は、こうした人々の直接の利益のために行われていた殺人が、後に、信仰と結びついたとは考えられないでしょうか。

言い換えると、人々は、集団が命の危機に瀕した時、少数を犠牲にして、集団を存続させることを、昔から行ってきていて…、それが、農耕(自然のコントロール)の進歩とともに、信仰と結びついて儀式化したのでは、ないでしょうか…。

そんな儀式を、人々が好んで行っていたとは、とても考えられません。上記の本では、人間には暴力への根源的な欲求があることが、指摘されていましたけれど…、逆に、非暴力への欲求も、あるはずです。

なぜなら、人間は、集団を作って暮らす社会的な生き物だからです。そのコミュニティのなかで(あるいは近辺で)殺人をすれば、集団を壊してしまう恐れがあります。その危険を冒しても人身御供をしていたとすれば、それは、自然を手なづけて食糧を得て穏やかに暮らすことが、本来、非常に難しいということを、示しているのだと思いました…。

人身御供は本質的には、殺人だと思いますが、時に犠牲者が自分から命を差し出すように仕向ける工夫をしたり、旅行者などの第三者から選んだり、社会的弱者から選んだりするのは、仲間殺しの衝撃を少しでも和らげるためのように、思います。

ですから、人身御供の伝説・昔話・祭りが今に伝わっている理由も、私は、普通には受け入れ難い習俗を人々が受容するためでは…?と、何となくそんな気がしました。

水神への生贄?

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柳田国男氏の「一目小僧」を、再読してみました…1つ、気になったところがあるので下に引用します。

…ただ祭の時、神と人との仲に立って意思の疎通を計った特殊の神主が、農業にとっては一番利害関係の大なる水の神の祭に、比較的ひろくかつ久しく用いられていたらしいことと、飲食音楽以外の方法で神の御心をやわらげ申すという、今日の人にはややにがにがしく感ぜられる思想が、特にこの方面に永く残っていたらしい…(柳田国男「一目小僧」)

 

柳田氏は、片目伝説を、田の神へ生贄を捧げていた名残と考えていたようです。

ちょっとびっくりするような話ですが、人柱や持衰も考えてみれば水の神に捧げていたわけだし…もしかしたら、そんなこともあったのかも…という気もしました。

前にも書いたとおり、Wikipedia等によれば、日本の片目伝説の起源は、2つの説がよく知られていますが…

  • 日本の片目伝説の起源
  1. 田の神へ捧げる生贄の名残(柳田国男氏)
  2. 鍛冶・製鉄との関連(谷川健一氏)

 

1か2か、ではなく、もしかすると、1と2が混ざった可能性もあるなぁと思いました。

そうだとすれば…

一つ目の神様や鬼に関する日本最古の記録は、8世紀の「日本書紀」「出雲風土記」。

日本書紀には、鍛冶神「天目一箇神」の記載がある一方、「出雲風土記」には一つ目の人食い鬼「阿用郷の鬼」について書かれているそうです。

阿用郷の鬼を、1に関連するものと仮定すると、8世紀当時、1は既に零落して妖怪化していて…、一方、2は現役、かつ、国が公式に存在を認めていた…と、すれば、1は2よりも古い時代の出来事であったと考えられるでしょうか。

さらに、日本書紀のスポンサーは天孫一族で、彼らの最大のライバルが出雲族であったことを考慮すると、2は天孫族の信仰、1は出雲族の信仰であったと、考えることができるでしょうか…?

 

蛇足を重ねますが…、

古事記に、イクタマヨリヒメ(スエツミミの娘)が大物主(三輪山の蛇神)と結婚してオオタタネコという神様の祖先を産むお話があります。

三輪山の大物主は、天孫族以前に付近を治めていた王様で、出雲族出身だったと記憶しています。

司馬遼太郎氏によれば、現地では「オオミワはんは、ジンムさんより先や」と、語り継がれているのだとか。)

ここにも、出雲出身の蛇神(水神)がでてきます。

 

水神に生贄を捧げて田の豊穣を願う信仰が、大昔の出雲族にあって、それが、天孫族の日本統一後、妖怪化したり、伝説や昔話に変わったのかな…なんて、想像を逞しくし(すぎ)てしまいました…。