陽だまり日記

陽だまり日記

大好きな本や映画のことなど

今年の思い出

昨年の終わりに、大好きなラジオ「昔話へのご招待」の聞き手だった、中村律子さんが番組を卒業されました。どういうわけか自分でも不思議なほど、本当に名残惜しく残念に思いましたが、最近になって、やっと気持ちの整理(?)ができてきたようです。中村さん、長い間お疲れ様でした!

「菊と刀」

ルース・ベネディクト氏の「菊と刀」は忘れられない一冊です。

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)

 

アメリカが太平洋戦争に勝つために日本を研究した本です。

たまたま東日本の震災の後に読んで、震災後と戦時中の日本で、似ているところがあるのに驚きました。というより、ショックでした。

だって、「前の戦争のときは、みんなが間違っていた。それを反省したから、もう二度とああいうふうにはならない」と学校で習ったような気がして、私はそう信じていたからです。

「みんなが間違っていて起きた」戦争で起きた恐ろしい出来事は、「二度と起きない」と、必ず最後に約束されるから、子どもの頃何が起きたか繰り返し聞かされても、自分には関係ないと思えて安心できたのです。

終戦より前は暗黒の時代、今はもう完全に当時とは違う、と思っていました。でも、そうではなかったのですね。

例えば、戦時中、苦境に立たされた日本国民が「世界が私たちの振る舞いに注目している」と考えて耐えたり、空襲を受けても「こうなることは既に承知していた」と諦めたり。また、そういう世論の誘導があったり。(特に後者については、このような反応は、アメリカ国民ではあり得ないというようなコメントが印象的でした。)

変わったこともあったのでしょうが、変わっていないこともあることに、気付かせてくれた本でした。

 

ハロウィンのこと

ハロウィンが近いので、「ケルト 再生の思想」を少しずつ読んでいます。

ハロウィンって何なのか、やっと分かりました。

秋と冬の狭間の、日本で言う立冬の時期が、ケルト民族にとっては1年の始まりであり、先祖の霊(とかいろんな霊)が帰ってくる時期で、つまり、文字通り「盆と正月が一緒に来たような」お祭りのようです。

ちなみに、他の季節の変わり目にもそれぞれの祝祭があるのだとか。

  • 秋と冬の間<立冬> サウィン(ハロウィン) 新年
  • 冬と春の間<立春> インボルク 女神ブリジットの祭
  • 春と夏の間<立夏> ベルティネ 5月祭
  • 夏と秋の間<立秋> ルーナサ 収穫祭

日本では、旧正月立春の頃、お盆が立秋の頃。どちらもケルトと時期は違いますが、季節の変わり目なのは同じです。

季節の変わり目には、この世とあの世の境界があいまいになり、霊がこちらにやってくるという信仰が、世界各地にあるのかもしれません。

旧正月前日の節分にも「鬼は外」がありますし、昔話で、おおみそかの晩に神様がやって来るというのも、ひょっとしたらその類なのでしょうか。

 

興味深いことに、七夕やお盆の時期に、北海道では"Trick or treat"と似た行事を行っている地域があるそうです(ローソクもらい - Wikipedia)。これは、青森のねぶた祭りで行われていた(子どもたちによる?)ろうそく集めが、北海道で根付いて、時代を経てお菓子集めに変化したのだそうです。

 

上記のWikipediaによれば(こちらのブログから引用したようですが)、お盆には、日本各地で、子どもたちが自分で材料を集めて行う「精霊送り」等があるといいます。残念なことに、私は全く経験がありません。

 

お盆に子供がする「精霊飯」という行事に関して、柳田国男さんの「こども風土記」にこんな記述があります。

ままごとは親が見ても静かでしおらしくまた他日の修練にもなって、同情のもてる遊びであったが、それが最初から遊戯として生まれたものでないことは、盆のままごとの一つの例を見てもわかる。浜名湖はまなこ周囲の村々ではショウロメシ、瀬戸内海のある島では餓鬼飯がきめしとさえいう通り、盆は目に見えぬ外精霊ほかじょうりょうや無縁ぼとけが、数限りもなくうろつく時である故に、これに供養くようをしてよろこばせて返す必要があったとともに、家々の常の火・常のかまどを用いて、その食物をこしらえたくなかった。それがかどつじ川原かわら等に、別に臨時の台所だいどころを特設した理由であり、子どもはまた触穢しょくえいみに対して成人ほどに敏感でないと考えられて、特に接待掛りの任に当ったものと思われる。 

子どもが行うことにも、それなりに意味があるのですね。「七歳までは神のうち」とも言いますし、大人よりも精霊に近い存在と考えられたのかもしれません。

ハロウィンの"Trick or treat"にも、やはり、意味があるのでしょうか。

「日本語の源流を求めて」

大野晋さんの「日本語の源流を求めて」を読みました。

日本語が、インド南部のタミル語と関係があるという説です。

専門家の間でも賛否両論とのことで、私も、正直、最初は、インドなんてずいぶん遠いなあと思いました。

でも、読んでみたらとても面白かったです。日本語の語幹に共通するニュアンスがタミル語にも共通していて、片方だけでは考えすぎみたいでも、両者を突き合わせると説得的になるというのは、ナルホドーと思いました。

そもそも、インドの言葉は、ヨーロッパの言葉と仲間なのだとばかり思っていましたが、それは北インドの言葉で、タミル語をはじめとする南インドの言葉はまた違う"ドラヴィダ語族"なのだとか。しかも、ドラヴィダ語というのは、語順や文法が日本語と似ているといいます。そうだったんですね……。

そうなってくると、素人考えですが、日本と遠いからこそ類似点があるのかもしれません。言葉や言い伝えは、古いものが周辺に押しやられて残るという考え方があるそうですから。

それに、日本語の起源というと、私は今まで、北か南かどっちなのかしらと、いつも思っていましたが、お米と一緒に西から来たということも当然考えられるわけです。今更ながら目からウロコが落ちました。

日本語の源流を求めて (岩波新書)

日本語の源流を求めて (岩波新書)

 

お米と一緒に西から人々がたくさん来たんだ……と想像してみると、縄文人弥生人のイメージも広がりました。今までは何となく縄文人が相当数いたところに弥生人がやってきて、そこそこ平和的に共存して、稲作を広めたみたいに思っていました。

でも、アメリカやオーストラリアのように、後からやってきた人々が前からいる人々を圧倒してしまうことだってあり得ます。アメリカやオーストラリアにヨーロッパから入って住んでいる人は、以前の住民と混血はしているでしょうが、文化的には連続していません。縄文人弥生人の関係も、そういったものであった可能性があると思いました。

「灼熱の魂」(2010年、カナダ)

久々に映画を見ました。やらなければいけないことがあるのに、それをやらずについ最後まで見てしまいました。

双子が生まれてすぐ付けられた名前が分かるところが、とても印象に残っています。

灼熱の魂 [DVD]

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癒し

眺めているだけで楽しくて、久しぶりに本を衝動買いしてしまいました。

作ってみたら、とても癒されました…! 10号レース針で40番レース糸etc...にビーズを編み込んでいきます。

こういう小さな物たちの、色の組み合わせを考えていると時間を忘れてしまいます。アルファ波的な何かが出ている気がするのが不思議です。

かぎ針ひとつでやさしく編める ビーズで楽しむ オヤのアクセサリー (暮らし充実すてき術)

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母音のこと

以前、ラジオ「昔話へのご招待」で、小澤俊夫先生が、日本語の母音は元来5つではなくてもっとたくさんあったというようなお話をされていました。

そう言われてみれば、東北出身の声優さんがそういうお話をしていたのを聞いたことがあります。普段の標準語と、地元の方言を話す時とでは「あいうえお」を変えると話していました。

私自身はどちらかというと日本の西側の出身ではありますが、東側にもかなり住みました。いわゆる方言をきちんと習得する機会は残念ながらありませんでした。自分ではあまり特徴のない言葉を話していると思っています。

でも、実は、最近の東京のほうの言葉は母音に少し違和感があって、何となく不明瞭に聞こえるときがあります。「私の言葉」は東京付近の言葉だと思っていたけれど、やっぱり違うところもあるのかもしれません。

以前、映画「マイ・フェア・レディ」を観て、オードリーよりもむしろ、話し言葉を聞いて出身地をピタリと当てる教授に憧れた気持ちを思い出します…。

マイ・フェア・レディ [Blu-ray]

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「きみはいい子」「世界の果てのこどもたち」

 中脇初枝さんの「きみはいい子」と「世界の果てのこどもたち」を読みました。

([な]9-1) きみはいい子 (ポプラ文庫)

([な]9-1) きみはいい子 (ポプラ文庫)

 
世界の果てのこどもたち

世界の果てのこどもたち

 

中脇初枝さんが「魚のように」でデビューされたときのことは、鮮烈でよく覚えています。確かTVドラマにもなって、それを見た記憶があります。

なので、「きみはいい子」は随分前から気になっていましたが、何となく読む機会を逃していました。最近、中脇さんご自身がラジオ「昔話へのご招待」で小澤先生と対談されて、作品の話題が出てきたので、そういえば…と手に取りました。

小澤先生が何度も言われたように、どちらも本当に素晴らしくて、引き込まれて一気に読んでしまいました。

具体的にどこが素晴らしいかうまく言葉が見つかりませんが、昔話と同じように、使っている言葉は平易で、読みやすく、映画を見ているように自然に物語の中に入れる感じがします。小説の内容は、社会の暗い面を描いていてシビアではありますが、語り口が淡々としていて、さりげなく「神様は扉を閉めるとき窓を開ける」みたいなことが描かれているので、目をそむけたくなるようなことにも時には向き合っていかなければという、勇気をもらえます。

「きみはいい子」は現代もので、新興住宅地で起きる学級崩壊、いじめ、子どもへの暴力、介護等の諸問題をオムニバス形式で描いた作品。「世界の果てのこどもたち」は太平洋戦争中の、中国残留日本人孤児、在日朝鮮人戦災孤児等を描いた作品です。

同じ作者の、他の作品も読んでみたくなりました。

海街diary

大好きな作品です。

中でも、ヒマラヤの鶴のエピソード(4巻)が良かったです。

海街diary 8 恋と巡礼 (フラワーコミックス)

海街diary 8 恋と巡礼 (フラワーコミックス)

 

この作品は子どもに救いがあるところがいいなと思います。

救いのないような作品を描いてきた作者だからこそなのかなとも。

ネガとポジは表裏一体と思えて、自分自身の希望にもなります。

Banana Fish

このブログの最初の記事は、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」のことなんですが、吉田秋生さんの「BANANA FISH」も、思い出深い作品です。学生の頃、これを読んでいない女子はいないっていうくらい流行っていました。jadeという英語もこの作品で覚えましたし、エビとアボカドのサラダを見るたび思い出します(笑)。本当に懐かしいです。

何と来年アニメ化するそうですね! 驚きました。

BANANA FISH バナナフィッシュ 全巻セット (小学館文庫)

BANANA FISH バナナフィッシュ 全巻セット (小学館文庫)

 

私はたまたまサリンジャーの原作を先に読んでいて、当時、意味は全然分からないながらも何となく心惹かれる作品だなぁと思っていたので、漫画のほうもすごく興味を持って読みました。

それで好きになって、同じ作者の「吉祥天如」とか、過去作をかなり読みましたし、最近の「海街Diary」も大好きです。

今考えてみると、原作のバナナフィッシュは、子どもの頃は全然考えもしなかったけれど、漫画作品全体を象徴する存在だったのかなと思います。死だけではなくて、性のことも。

 

すごく飛躍してしまうのですけれど、サリンジャ―の作品に登場するシーモアが患ったような病気は、個人が、社会と関わることによって発症するものだと思うのです。

個人が自分の中に持っていた社会の形が急に変わるときに、情報や整合性を処理しきれなくなってしまうのでは……と思います。

サリンジャーの場合、とうとう生きている間に直接語ることはなかったようですが、従軍したときの体験が大きく影響したという意見があるようです。

 

私は、もしかしたらバナナフィッシュはサリンジャーが戦場で見た風景そのままなのかも……と思っています。もしかしたら見ただけではなかったかもしれないし、バナナフィッシュにうってつけの日というのはその亡霊がシーモアに追い付いてしまった日なのかなと。シーモアが言う「君は僕の足を見ているんだね」というのは、そのことをはっきり示しているような気がします。自分が見ていたはずなのに、見られていると認識が逆転してしまって、そこから逃げる方法は1つしかなくなってしまったのかもしれません。

 

漫画のBANANA FISHは、そうして考えてみると、戦争、死、性と原作のバナナフィッシュが持っていた(かもしれない)全部のパズルのピースをそろえていて、新しい物語になっているところが、改めてすごい作品だなぁと思います。アッシュと英二の声は誰があてるのか…今から楽しみです♪