陽だまり日記

陽だまり日記

大好きな本や映画のことなど

平成の思い出?

ついに平成も終わり。

私はこの人たちのファンでは、特になかったんですけれど…、逮捕されたときは、一言ではいえない複雑な気持ちになりました。

太陽と埃の中で

太陽と埃の中で

 

当時は社会現象だったと思います。今で言えば、星野源さんみたいな感じでしょうか?

私は彼らの特徴のある歌声がやや苦手でしたが、家には誰かが買ったCDがあったし、学校の先生が「SAY YES」の歌詞はいいね、なんて言うこともあって。それも、普段は強面の男の先生が。

女性ファンが多いイメージですが、意外と、あの頃私の周りではどちらかというと男子人気のほうがあったように記憶しています。男子はみんなだいたい好きで、女子はときどきすごく好きな人がいる、という感じ。(光GENJIの曲を作ったということでは、多くの女子に支持されていたかも…)

なので、逮捕されたときは、取りあえず久しぶりに聴いてみて、すごくいい曲!と感動しながら、何だかあの時代ごと壊れてしまったような、本当に複雑な気持ちになったものです。

平成という時代は良い時代だったんだろうと思います。でも、本当のところはどうだったんでしょう。見えないところで何があったのか、それも含めてどんな時代だったのか、もう少したってみないと分からないのかもしれません。

 

若い頃は苦手でしたが、今はときどき昔のCDを引っ張り出して聴いています。複雑な気持ちはあっても、平成の初めの頃の音源を聴いてみると、やっぱりいいなぁ…と思ってしまいます。

片目の神様のこと(7)

数えてみたらこのブログで片目の神様のことに触れるのは7回目でした。

柳田国男さんの「日本の伝説」に収録されている片目の蛇の話は、何だか「金枝篇」みたい?と思ったので、片目・一つ目のことを考察している別の本の該当箇所を見てみました。

山の神

山の神

 

1つ分かったのは、「古事記」「日本書紀」に、ヤマトタケルノミコトの進軍を邪魔した白鹿(山の神の化身)を、ミコトが蒜の枝で目を打って殺したという話があって。ここでは片目にはならないのですが、筆者はこれが片目伝説の記録された最も古い形と考えたようです。

蒜は「ひる」と読み、ニンニクのことらしいです。

大事な部分をちょっとだけ引用します。

右の挿話に従えば、山の神は目を射られて確かに「殺された」とはいえ、それにより本当に神の活動に終止符が打たれたわけではないので、この場合もともと殺害の話では少しもなく、片方の目の失明だけが伝えられたのではないかと考えたい。(中略)

これらの山の神は、敵対して征服された住民の神となっていた。この場合は、祀られている神の目の怪我の原因となった植物が、通常はひろく忌避されているのとは正反対である。(敵対する)神の目に当たった植物はこの神に対して威力があるとされる。そして右の挿話の舞台となっている地方が、現在二月八日に目籠や柊、葫を使って一つ目の疫病神を追い祓う地域の一部であることは注目に値する。

(ネリー・ナウマン「山の神」311ページより)

 *葫は「にんにく」と読むそうです。

 

こうなってくると、鬼を柊や桃で追い払うっていう話とも似ているなぁ…と思えてきます。でも、鬼を追い払う植物は、当たり前ですが、植えないとか育たないとかいう話にはならないところが片目伝説と違います。

鬼を柊で追い払うというのは、当然人間(討伐した)側から見た伝説ですが…、

 

片目の神様+植物禁忌の伝説は、鬼を追い払った出来事を、討伐された側から見た話なのでしょうか。

片目伝説に付随する植物禁忌は、ゴマだったり、大根だったり、キュウリだったり、生活に密着していて、手近にあったほうがいいものばかりで、栽培を禁止するのはそれなりの理由が必要なように思います。

それは滅ぼされてしまった古い神の供養なのでしょうか。(それとも、物語のまま考えるなら、九死に一生を得た神が二度と傷つけられないことを祈願しているのでしょうか。)

柳田国男さんの「日本の伝説」や「一つ目小僧その他」の片目の神様の項に、御霊信仰のことも詳しく述べられていて、両者は親和性があるらしいことがうかがえます。つまり、植物で目を怪我された神様というのは、御霊のような、祟り神のような側面があるのでしょうか。

 

片目というのは、急所を撃たれたことと、それでも完全にいなくなったわけではないという、境界的な存在であることを示しているのでしょうか。

「日本の伝説」(片目伝説6)

柳田国男さんの「日本の伝説」は青空文庫で読めます。良い時代になりました。

この中に片目の神様について記述された箇所があります。

久々に読み返して、とても気になる部分を見つけました。取りあえず、忘れないように引用しておこうと思います。

飛騨ひだ萩原はぎわらの町の諏訪すわ神社では、又こういう伝説もあります。今から三百年余り以前に、金森かなもり家の家臣佐藤六左衛門という強い武士さむらいがやって来て、主人の命令だから是非この社のある所に城を築くといって、御神体を隣りの村へうつそうとした。そうすると、神輿みこしが重くなって少しも動かず、また一つの大きな青大将が、社の前にわだかまって、なんとしても退きません。六左衛門このていを見て大いにいきどおり、梅の折り枝を手に持って、蛇をうってその左の目を傷つけたら、蛇は隠れ去り、神輿は事故なく動いて、御遷宮をすませました。ところがその城の工事のまだ終らぬうちに、大阪に戦が起って、六左衛門は出て行って討ち死をしたので、村の人たちも喜んで城の工事を止め、再びお社をもとの土地へ迎えました。それから後は、折り折り社の附近で、片目の蛇を見るようになり、村民はこれを諏訪様のお使いといって尊敬したのみならず、今に至るまでこの社の境内に、梅の木は一本も育たぬと信じているそうであります。益田ました郡誌。岐阜県益田郡萩原町)

この話、何だか「金枝篇」に似ている? と思うのは私だけでしょうか。

金枝篇」と違うのは、蛇は梅の枝で傷を負っても死なず、それ以来梅が育たなくなったという部分です。

つまり、古い王が新しい王に取って代わられることはなく、そればかりか、以後は古い王が傷つくことのないよう、梅が育たなくなってしまうという……

同様に、氏神がある植物で目を傷つけたので、以降その植物を忌んだというような話は日本各地にあるそうです。

全くの素人考えですが、新しい王に駆逐されてしまった、古い王を偲ぶ伝説のように思えます。

 

似たような話がもう1箇所あったので、こちらも忘れないように引用。

加賀の横山の賀茂かも神社においても、昔まだ以前の土地にこのお社があった時に、神様が鮒の姿になって御手洗みたらしの川で、面白く遊んでおいでになると、にわかに風が吹いて岸の桃の実が落ちて、その鮒の眼にあたった。それから不思議が起って夢のお告げがあり、社を今の所へ移して来ることになったといういい伝えがあります。神を鮒の姿というのは変な話ですが、お供え物の魚は後に神様のお体の一部になるのですから、上げない前から尊いものと、昔の人たちは考えていたのであります。それがまた片目の魚を、おそれて普通の食べ物にしなかったもとの理由であったろうと思います。(明治神社誌料。石川県河北かほく郡高松村横山) 

桃といえば魔除けの桃。神様がそれでケガをするなんて不思議です。

つまり、この伝説の視点は、桃が当たった古い神様側ではなく、桃を当てた側、社を移した新しい神様側にあるということかも…と思いました。

「さんかく窓の外側は夜」

「さんかく窓の外側は夜」の7巻を読みました。続きが気になります。先生の分身にドキドキしました…! 家探しされたというのに、出てくるのがちょっと遅かったところに愛嬌を感じます。寝てたのか、それとも地下でお留守番していたのか。

さんかく窓の外側は夜 7 (クロフネコミックス)

さんかく窓の外側は夜 7 (クロフネコミックス)

 

主人公のお相手のH川さんは、回が進むにつれ生気がなくなってくるみたい。主人公に…されると壊せなくなるっていう設定には驚きました。ときどき何か食べてるのと関係ある? それを主人公がスルーしてるのも不思議。それに、むしろ壊せなくなったほうがいいような? と、やや混乱しました。いったい、どういうところに落ち着くんでしょう。

 

それはそうと、本作にときどき出てくる成長しない少年や、「何も忘れてない」っていう感じ(主観)に何となく心をひかれます。

子供の頃のすごく印象的な出来事って、そういう一面があるような気がして。

普通に過ぎていった年のことは、普通に「覚えていることもあるけど、だいたい忘れている」と思うのに、ちょっと大変だった年のことは、なぜか「だいたいのことは覚えている」という感じがします。でも不思議なことに、当時周囲にいた人と話すと、どうやら楽しかったことを多く覚えていて、楽しくなかったことは結構忘れているようです。

この作品を読んでいると何かそういうことを考えてしまって、良い脳トレになります。

「セッション」(2014、アメリカ)

「セッション(原題:Whiplash)」を観ました。無茶苦茶過ぎて、すごく面白かった!

セッション(字幕版)
 

有名な映画らしいのですが、内容をよく知らずに寝る前に見始めてしまって。黒っぽい画面で眠くなるかと思いきや、逆に目が冴えて、とうとう最後まで観てしまいました。

主人公は音楽学校に通いジャズドラマーを目指す青年。で、先生が鬼みたいなオジサン。強烈なパワハラモラハラを日常的に繰り返します。何せ、"Good job=人を一番駄目にする言葉"という恐ろしい信念を持っているので。叱って伸ばすというより、どれだけ踏みつけられても倒れなかった者だけが生き残れるシステム。一瞬見せる優しげな顔は常に地獄の入り口で、学生が粉々になるまで罵倒するための助走なんです。

でも、その罵倒があまりに酷すぎて、突き抜けていて、終始一貫してハイテンションなので、それはすごく面白かった…! 中でも3人のドラマーに代わる代わる罵声を浴びせるシーンは圧巻でした。

そして、主人公のほうも鬼に負けず劣らずかなり濃いキャラクター。自己顕示欲の塊というのでしょうか。がむしゃらに練習して、時には先生に反論したり掴みかかったりもします。

どなたかのレビューに「殴り合い」と書かれていましたが、まさにそんな様相です。一方的ではないので、ハラハラしながらも見続けることができたと思います。

 

問題のラストシーン、演奏する曲目を伝えなかったのはなぜか。あちこちのレビューやWikiを見ると復讐という解釈がほとんどでしたし、デミアン・チャゼル監督のインタビューでは、明言されていませんが、彼のコメント↓を読むとやっぱり復讐かなと思いました。

この映画では、フレッチャーのやることなすことをできるだけ極悪非道で許しがたいものにしたかったんだ。実際、暴力的な指導というのが偉大な音楽家をつくるというジャズ業界の雰囲気を否定することはできないからね。

でも、1つ気になるのは交代のドラマーがいなかったこと。ドラムなしで残りの演奏をするつもりだった? それは何だか不自然なような。とすると、やはり主人公が戻ってくることを予想していたのかもしれません。

では、復讐ではなかったのでしょうか? 

そこで、もっと気になるのが、最後の最後でフレッチャーが「Good job」と言ったように見える場面(口元が隠れているので何と言ったかはっきり分かりません)。

ここは、青年が素晴らしい演奏をしたので、パワハラ先生が感極まってついに褒めた=ハッピーエンドという解釈が多いようですが、何だか違和感があります。

だって、"褒めたら終わり"というのが、自殺者を出しても揺らがなかった彼の信念なのですから。そんな男が本当に「Good job」と言ったなら、それこそが主人公を徹底的に潰すための復讐だったのでは?とも考えられるような…でも、だとしたら、もはや怖すぎてサイコホラーです。

 

結局、何と言ったのかはっきりとは映っていませんし、本当のところは分かりません。ただ、監督のコメント↓は、ハッピーエンドと仮定すると何か引っ掛かります。

僕がイメージしていたエンディングと、実際スクリーンで映されたエンディングが違うもののように感じたんだ。多分思い描いていた時点では、まだ音楽そのものが影響してこなかったから。

「音楽そのものの影響」っていうのは、迫力のある演奏によるポジティブな影響だと思われます。つまり、思ったより感動的になってしまったということ? あの非道な先生が心から青年の演奏を認めるというエンディングには、その影響が不可欠なのに?
 
最後のシーンを見た人はその結末に対してちょっと嫌な気持ちになるかもしれない。でも同時に混乱させるような疑問も残すことができたらいいなと願っている。
「最後のシーン」は演奏する曲を伝えられていなかった場面なのか、それともその後の…どちらとも取れます。
 
フレッチャー役の俳優さんのコメント↓も気になります。
チャゼルが言いたいのは、つまり、映画を観ただけでただ結論づけないようにしてほしいということ。アンドリュー・ネイマンの辿った結末について満足しているのか、それとも喪失感を覚えているのかということを考えてほしいということなんだ。
最終的に鬼気迫る演奏をして鬼教官にもついに認められ、めでたし、めでたしなら、「喪失感」は変かと。
 
いずれにせよ、若者が鬼に一矢報いる場面は爽快感がありましたし、演奏の迫力も素晴らしかったです! ラストには確かに混乱させられましたが、それでも観て良かったと思える映画でした。

「残酷な神が支配する」

萩尾望都さんの「残酷な神が支配する」を再読しました。

残酷な神が支配する」は、前半は暴力的な支配関係について、後半は魂の触れ合いについて、とても丁寧に描かれています。後半、イアンが迷ったり失敗したり、後悔したり、グレッグの幻影に怯えたりしながら、ジェルミの内面に踏み込んで関係を築いていくところは、読んでいて引き込まれました。

最終巻では、愛と一言で表現されるものの実体や複雑性について、その始まりは親子関係ということにも触れられていて、考えさせられました。

このお話がどうして外国を舞台に描かれたのか、ちょっと気になりました。萩尾望都さんの作品はヨーロッパを舞台にしたものが多いようですし、単に好みで、それ以上の理由はないのかもしれませんが。意味があるとすれば、両親を名前で呼ぶのが日本より不自然でない感じがするで、グレッグとサンドラに、親と、親でない個人と、両方の属性をより自然に付与できることはあったかもしれません。

「アマテラスの誕生」

 「アマテラスの誕生」という本を読みました。これはショックでした。

アマテラスの誕生 (講談社学術文庫)

アマテラスの誕生 (講談社学術文庫)

 

作者は代々神主さんの家に生まれ、初め神主だったけれども、戦後高校の先生に転職されたのだとか。

その(元)神主さんによれば、日本人が信仰している自然神は、古くは海の向こうから来る神様。そして、少し新しく、天から降りてくる神様。そういう大きな神様が山、木、水、石、鏡など身の回りのものに宿っているので、それを祀っているのだそうです。

私の曾祖母は家の裏山に石を祀ってお参りしていたと聞いたことがあります。山に石?自分で??と思っていましたが、上のようにはっきり説明されると、何となく、ナルホド……と納得されます。

確か映画にもなったかと思いますが、山から木を運ぶお祭りも、天から来た神様をそうして運んでいたのですね。

日本の自然宗教は何にでも神様がいるんだとただ漠然と思っていて、肝心なことをなんにも知らないでいたんだなあ……と、ショックでした。

 

それから、伊勢の天の神様は田植えの時期にサルタヒコと呼ばれるそうです。(サルタヒコも、アマテラスも、同じ天の神様なのだそうです。)

ということは、昔話の「猿婿」って、その猿だったのでしょうか。ラジオ「昔話へのご招待」で聞くたび、猿がどうして田の神なのか不思議だったので、これにも驚きました。

 

もう一つ、日の神様が蓑と笠を身に着けるというのにもびっくり。笠が日を表象しているという説明でしたが、分かったような分からないような。今の感覚では何だか庶民的な格好のような気もします。

でも、こちらの本を思い出しました。

神無き月十番目の夜 (小学館文庫)

神無き月十番目の夜 (小学館文庫)

 

村人が大事な集会に出るときに蓑と笠を身に着ける場面があったような…。でも、ずっと前に読んだので記憶違いかもしれません。

実話を基にした小説なので細部は作者の想像かと思っていましたが、細部まで何かに基づいて書かれていたのかも……。

バディものx2

最近、バディものの漫画を2作品読みました。どちらもサイコホラー?的な作品です。

まず、「LIMBO THE KING」。

limboというのは、「洗礼を受けずに死んだが、地獄には行かない人がとどまると考えられた場所」(英辞郎 on the webより)。

LIMBO THE KING コミック 1-5巻セット

LIMBO THE KING コミック 1-5巻セット

 

近未来が舞台で、人の記憶を……する致死率100%の病気を、2人で発病した人の記憶の中に入って治す話。

記憶の中というつかみどころのない不思議な空間で、"注視すると連想の扉が開く"みたいな面白いルールを考えたり、絵にできるって、すごいイマジネーションだなぁと思いました。

精神世界の話ではありますが、科学的な設定がついているので、何となく安心感がありました。コネクトームという言葉は作者の造語なのかと思ったら、本当にあるようです。

それから、明晰夢というのは夢と気付きながら見る夢のことだそうです。たまにそういうことがありますが、名前が付いていたのですね。

 

もう1つは、「さんかく窓の外側は夜」。面白いタイトルです。ありそうでなさそうな。

さんかく窓の外側は夜 コミック 1-6巻セット

さんかく窓の外側は夜 コミック 1-6巻セット

 

こちらは悪霊退治もので、感覚的というか非科学的というか、よく分からないところがあったり、肝心なところがはっきり描かれていなかったりもして、それが逆に気になってしまいます。悪霊は結構怖かったですが、作者さんはBLとして描いているそうで、そういう作品としても楽しめます。

主人公のお相手がいわゆる変わり者で、その変人度が回を重ねるごとに増していくので、まさか2人の仲が進展しているとは思えなかったのですが、これはヤンデレもののBLという文脈らしく。

1人だけいる女の子が出す"分身"が、不気味な姿ではありますが、カオナシ的なかわいさがあるような気がして好きです。男子は除霊のたびにいろんな意味で絆を深めているのに、この女の子は…たびに大変な目にあっていて、待遇の差が…

他にも、本作は細かいパーツが面白かったです。吹き出しの中が真っ黒で見えないとか(笑)。主人公のお相手の日本語がたどたどしいのも何だかチャーミングです。それから、パンドラの箱ならぬ宝石箱は、別離のイメージとして、とても印象的でした。

人生を彩る糸!

私も編み物が好きです。全然上手じゃないし編むスピードも遅いし大したものは作れないのですが、それでも冬になると、今年はどんな帽子を編もうかな?とワクワクします。なぜ帽子かといえば、マフラーや手袋、靴下よりも早くできるから。

何を編もうか考えたり、毛糸やさんで毛糸を見ていると、楽しくてつい時間を忘れてしまいます。だからやめられないし、下手っぴな帽子etc.と毛糸は増える一方です……。

「YARN 人生を彩る糸」は、編み物をクラフトというよりもアートとしてされている方々のドキュメンタリー映画です。

YARN 人生を彩る糸 [DVD]

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アートだから個性的な作品がたくさん出てきて、見ているだけで楽しかったです。手編みの楽しさを改めて実感しました。

今年の思い出

昨年の終わりに、大好きなラジオ「昔話へのご招待」の聞き手だった、中村律子さんが番組を卒業されました。どういうわけか自分でも不思議なほど、本当に名残惜しく残念に思いましたが、最近になって、やっと気持ちの整理(?)ができてきたようです。中村さん、長い間お疲れ様でした!