陽だまり日記

陽だまり日記

大好きな本や映画のことなど

聖なる植物

前回の続きです。

シュクラが目をケガしたのは、日本語のお話(出典不明)では「わら」となっていますが、スカンダ・プラーナでは「Darbha grass」=ギョウギシバとなっています。

en.wikipedia.org

    When he obstructed the flow of water at the time of the gift of the earth by Bali (to Vamana), Bhargava (i.e. Sukra) lost his eye on being pricked with the tip of the Darbha grass held in his hand by Vishnu (i.e. Vamana). He went to Sonacala and performed a very difficult penance. With his soul purified, he regained his eye.
    —  Skanda Puran (Unknown translator, 1951), Part 3 (Purvardha), Chapter 6, Verses 51b-53(上記Wikipediaより引用)

 

ja.wikipedia.org

一見地味な雑草という感じですが、ヒンドゥー教の儀式には欠かせない聖なる草で、ガネーシャには特に神聖、また、ヴィシュヌもこの草を好むのだとか。だから、ヴィシュヌのアバターであるヴァーマナがギョウギシバを使ったんですね!ちゃんと理由があったわけです。

 

この聖なる草の起源について、ヒンドゥーの神話はさまざまな説を説いている。(中略)マンダラ山は亀の姿に変身したヴィシュヌ神の上で回転され、そのときヴィシュヌの体毛がこすれてちぎれ、その体毛が波によって岸に打ち寄せられて地に根を下ろし、ドゥールヴァdurva、すなわちギョウギシバになったのだという。(T.C.マジュプリア「ネパール・インドの聖なる植物」より引用)

 

 

昔の人の想像力は凄い……。

 

上に引用した本には100種類以上の"聖なる"植物が紹介されていて、その中には竹やキュウリ、カボチャ、ダイコン、サトイモ、ゴマなど日本でも身近なものが幾つかありました。

スーパーに行けばいつでも食べ物があり、薬局に行けば薬が買えるような生活をしていると、そのありがたみに鈍感になってしまいますが、本来は、一つ一つの植物に神様が宿っていると考えるほど、大事にされてきたんだなぁと実感しました。

日本の栽培禁忌も、詳しい経緯はよく分かりませんが、そういう植物を大事にする気持ちの延長線上に生まれた風習なのかなと思いました。

インドの「隻眼の聖者」のお話

国会図書館デジタルコレクション「インド・ペルシャ神話と伝説」(S10、馬場吉信 等編)、「シヴァ物語」の中に、「隻眼の聖者」(p. 366~370)というお話がありました。

dl.ndl.go.jp

ある猟師が、山頂で神像に出会って深く信心するようになった。ところが、神像を以前から祀っているバラモンは、神に仕える正しい方法を知らない粗野な猟師が嫌でたまらなかった。祀られている神は、猟師の気持ちの純粋さをバラモンに見せるため、神像の目から血を流した。すると猟師は自分の片目を捧げ、神が止めなければ両目を捧げるところだった。これを見たバラモンは神への愛は正しい儀式よりも尊いことを知り、猟師は片目の聖者として以後崇められることになった。

 

要約すると上のような内容です。

隻眼の聖者は、信仰心が非常に強く、神に特に愛された人。とてもすっきりしていて分かりやすいと思いました。

物言う牛

予言獣「件」(くだん)に関する続報です。

私は何でこんなに件が好きなんでしょう(笑)

最近のマイブーム『捜神記』をパラパラ見ていたら、「204 牛がものを言えば」が目に留まりました。

 

中国の晋という国で4世紀初め、車をひいていた牛が急にしゃべり出し、天下の戦乱を予言したというのです。

エピソードの最後、『京房易伝』から、「牛がものを言えば、その言葉の内容通りに吉凶を占うことができる」と引用されていました。

 

『京房易伝』は、紀元前1世紀、前漢時代の京房という人による易書のようです。

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予言獣としての牛は少なくとも4世紀にはいた。ひょっとしたら紀元前からいたかもしれない。ということかと思います。

 

『捜神記』には、これ以外にもさまざまな戦乱の予兆に関するお話がありました。例えば二本足の虎(184)とか、屋根の上の鯉(186)とか、他にもたくさんありましたが、その根底には、普段と違う出来事は災いと結び付くという考え方があるようです。

 

災いを予測するのは難しいけれども、どうにかして身を守りたいという、切実さが感じられます。

日々空襲にさらされていた時代、件の噂話が流布したのも何だか頷けます……

片目伝説(10)ヒトツモノ

先日書いた片目伝説(9)の、柳田国男さんに関する、下の部分の続きです。

柳田氏は、片目の神=大昔の生け贄という、ちょっとびっくりするような仮説を提唱しています。時代が下りその意味が忘れられて零落した姿が、妖怪・一つ目小僧だというのです。

この説には批判もありますが、角川ソフィア文庫「一目小僧その他」の解説によれば、解説者・鎌田久子氏の実家は代々「五郎つあま」と呼ばれ、長男でも五の字のつく名前を付けられ、当主あるいはその妻が片目になるという言い伝えがあり、神官ではないものの家の真後ろに氏神の諏訪様が祀られていたのだとか。柳田説と妙に符合する話で気になります。ひょっとしたら……と思わせます。

個人的にもう一つ気になるのは、柳田氏には生け贄説を思い付くような何か具体的理由があったのだろうかということ。

omn.hatenablog.com

具体的理由は、もしかしたら、今も日本各地にある「ヒトツモノ」が登場するお祭りだったのかもしれません。

ヒトツモノとは何か

ある種のお祭りに登場する神の依坐としての、お稚児さん、または人形、または植物(葦やススキ)を指します。元々は風流であるとの説もあるそう。

稚児などの扮装した人あるいは人形がヒトツモノと呼ばれ(中略)日本民俗学において依坐やその名残であるという説が定着しているが、元々は風流であるとの説もある。

(ヒトツモノ-Wikipediaより)

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各地の神事にヒトツモノと呼ばれ,必ず神前に供えられる1本のあしやすすきが登場する例がみられる。この片葉のカタは諸葉のモロ,すなわち2つということに対して1つを意味し,もとは尸童 (よりまし) が手に取った手草 (たぐさ) のことで……

(片葉の葦とは-コトバンクより)

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ヒトツモノにはどういう意味があるのかということについて、こちらの考察が興味深かったです。京都の上賀茂神社では、ヒトツモノとは「料理をしないで供える神饌名」だったそうです。料理をしないで……つまり、生きたまま? こうなってくると、生け贄説は突飛とは思えません。

堀井令似知は、『京都のことば』(和泉書院、1988.11)で上賀茂神社のヒトツモノを紹介している。それは、料理をしないで供える神饌名であったという。この話は、ヒトツモノを考える上で大きなヒントになる。おそらく、ヒトツモノは祭礼に当たって神に献上する稚児であり、それ故に美々しく着飾って神事に参勤したのであろう。こうしたヒトツモノの役割が、祭礼の風流の一つ、神が依りつく稚児という二つの説を生み出していくことになるのである。(高砂市民俗調査より)

人がヒトツモノとなる事例

Wikipediaによれば、お稚児さんなどの人がヒトツモノとして登場するお祭りは近畿や香川県で行われています。

ヒトツモノ、あるいはヒトツモノであると考えられている行事がいくつかの地域で行われており、春日若宮神社奈良市)、懸神社(宇治市)、粉河産土神社(紀の川市)、曽根天満宮・荒井神社・高砂神社(高砂市)、射楯兵主神社・大塩天満宮姫路市)、琴弾八幡宮観音寺市)、熊岡八幡宮・宇賀神社(三豊市)などは人がヒトツモノとなる事例である。(ヒトツモノ-Wikipediaより)

上記引用文に挙がっていない事例として、

兵庫県宍粟市――波賀八幡神社

決められた家系あるいはその家が推薦した童子が特別な扮装をして馬に乗り(=一つ物)、渡御行列を先導する。童子は祭りの間は地面に足をつけてはならないことになっている(関西大学博物館彙報(2021年3月21日発行))。

人形をヒトツモノとしている事例

Wikipediaによれば、人形をヒトツモノとしている事例は、和歌山県茨城県、愛知県にあります。

熊野速玉大社(新宮市)、大宝八幡宮下妻市)、八王子社(江南市)などでは人形をヒトツモノとしている。

大宝八幡宮の事例では虫送りのような穢れを流す行事と人身御供譚の影響が見られる。 (ヒトツモノ-Wikipediaより)

茨城県下妻市――大宝八幡宮

一つ目のわら人形を奉じ注連たすきをかけた世話人が、氏子区域を練り歩き、人形を大宝沼(現在は糸繰川)に流して終わります。(大宝八幡宮Webサイトより)

www.daiho.or.jp

 

他に、次のような興味深い事例もあります。ヒトツモノとは呼ばれていないようですが、神の依坐役をする人が一つ目を模し、笠をかぶり、馬に乗るというところが、上記と似ているし、古くは人身御供そのものを模した神事が行われていたそうです。

千葉県袖ヶ浦市――坂戸神社

「一目御供」(選ばれた人が、穴を開けて一つ目を模した笠をかぶり、馬に乗って神前に向かう)の神事があり、また、もっと昔には「人身御供」(くじ引きで選ばれた村人を神主が包丁で切る真似をする)が行われていたことが、「房総志料」など郷土資料に出ているそう。

柳田国男氏の生い立ちとの関連性

柳田氏は著書の中でヒトツモノについて触れていて、このようなお祭りをよくご存じだったことが分かります。

この御社の古い方の神の依坐(ヨリマシ)は、御幣すなわちミテグラになっているのであったが、これにはまた現実の活きた人間を使うこともあった。神霊のこれに乗り移らせたもうた後、歩ませてまたは馬に乗せて、祭場に進む例は今でもまれでない。ヒトツモノというのが多くはこれであった。その一つ物も熊野の新宮のように、いつのころからか馬上の人形になっている所もある。そういう場合にはその人形の腰に挿しまたは笠の端につけた一種の神聖なる植物に、心霊が御依りなされるものと考えていたようである。(柳田国男「日本の祭」より)

dl.ndl.go.jp(47~48ページ)

 

その出身地である播州地方には、ヒトツモノが登場する祭礼が比較的多く分布しています。上記のとおり、Wikipediaには曽根天満宮・荒井神社・高砂神社(高砂市)、射楯兵主神社・大塩天満宮姫路市)が挙げられていますし、他には波賀八幡神社宍粟市)にもあります。

上に挙げた高砂市民俗調査によれば、「県下においては高砂市を中心に東播磨西播磨の一部に分布するに過ぎない」とあり、兵庫県内ではこの辺りに集中しているようです。

また、関西大学博物館彙報(2021年3月21日発行)によれば、「兵庫県南部の加古川市から赤穂市に至る地域には、祭りに一ツ物・頭人・馬乗り・カゲシなどと呼ばれる子どもが登場することは知られている」。

 

柳田氏の故郷は兵庫県神崎郡福崎町辻川で、地図を見るとまさに加古川市赤穂市の間、波賀八幡神社がある宍粟市のすぐ隣。

ここにも同様のお祭りがあったのかもしれないし、ひょっとすると、自ら稚児役をしたことがあるのかもしれません。想像をたくましくし過ぎでしょうか。

 

そして、柳田氏が12歳から多感な時期を過ごし、現在柳田國男記念公苑があるのが茨城県利根町。茨城と千葉の県境で、上に挙げた袖ケ浦市下妻市のちょうど中間付近です。ことによると、大宝八幡宮や坂戸神社で行われているようなお祭りも、経験されたのかもしれません。

 

全ては私の素人的想像で、何の直接的証拠もありませんが、もしこれらの祭礼をよく知っていたのであれば、生け贄説を考え付くのは自然かと思えました。

「今昔物語集」拾い読み

今昔物語集」(現代語訳)を拾い読みしていて、本朝部と震旦部に似た話があるのを見つけました。

・本朝部(日本の説話) 巻第十四 第十三 入道覚念、法華を持して前世を知る語

・震旦部(中国の説話) 巻第七 第二十 沙弥、法華経を読むに二字を忘れ、ついに悟ることを得る語

 

どちらも、あるお坊さんが法華経の一部分だけどうしても覚えられず困っていたが、それは前世の因縁だったという内容で、紙を食べる虫「紙魚」が登場します。

ja.wikipedia.org

 

その前世の因縁とは、

・本朝部(日本の説話) お坊さんの前世が紙魚で、そのとき経典の中にいて、経典の一部を食い損じてしまった。経典の中にいたので人間に生まれ変わることができたが、前世で食い損じた部分を覚えることができない。

・震旦部(中国の説話) お坊さんの前世は女で、家に置いてあった経典の一部を紙魚が食べてしまった。男に生まれ変わって沙弥となったが、前世で紙魚が食べてしまった部分を覚えることができない。

 

 

どうやらこれは偶然似たのではないようです。

www.jstage.jst.go.jp

 

上の論文によれば、上記の本朝部の説話は、「今昔」より前、「大日本国法華経験記」という仏教説話集に採録されたのが最初で、同書の選者である鎮源というお坊さんが、中国唐代「弘賛法華伝」の説話を改変したものだということです。そしてその「弘賛法華伝」の説話が、震旦部に採録されているほうの説話だそう。

kotobank.jp

 

もともとの中国の説話では、紙魚が経典を食べてしまったのは、人間にはどうすることもできないアクシデントだったのに対して、改変された日本の説話は、前世が紙魚で(!)そのとき経典を食べたから今覚えられないという、自業自得のようになっているのが興味深いです。

 

今昔物語集を読んでいると、このような本朝部の自業自得系の説話は散見され、震旦部、天竺部にも悪いことをした人が報いを受ける話はありますが、それらとは少し雰囲気が違い、妙な迫力を感じます。この紙魚のお話にしてもそうですが、本来自分のせいではないことまで、現世の不幸・不運は全て前世の因縁、自業自得とされてしまう傾向があるような。

 

短絡的かもしれませんが、自己責任というワードが思い出されました。

片目伝説(9)ここまでのまとめ

私の郷里には、"昔、神様がある植物で目を突いたのでそれを植えない"という伝説があります。

こんな伝説は日本各地にあることを、日本民俗学の祖・柳田国男氏が、著書「日本の伝説」等で指摘しています。

www.aozora.gr.jp

 

ドイツの日本学者ネリー・ナウマン氏は、著書「山の神」で、「古事記」「日本書紀」に、ヤマトタケルノミコトの進軍を邪魔した白鹿(山の神の化身)を、ミコトが蒜(ひる、ニンニクのこと)の枝で目を打って殺したという話があって、ここでは片目にはならないものの、これが片目伝説の記録された最も古い形と述べています。

右の挿話に従えば、山の神は目を射られて確かに「殺された」とはいえ、それにより本当に神の活動に終止符が打たれたわけではないので、この場合もともと殺害の話では少しもなく、片方の目の失明だけが伝えられたのではないかと考えたい。

(中略)

これらの山の神は、敵対して征服された住民の神となっていた。この場合は、祀られている神の目の怪我の原因となった植物が、通常はひろく忌避されているのとは正反対である。(敵対する)神の目に当たった植物はこの神に対して威力があるとされる。そして右の挿話の舞台となっている地方が、現在二月八日に目籠や柊、葫(にんにく)を使って一つ目の疫病神を追い祓う地域の一部であることは注目に値する。

(ネリー・ナウマン「山の神」より)

Wikipediaによれば、同氏は、「隻眼の形象は雨乞いや風、火などの自然現象に関係することが多い」としているそうです。

ja.wikipedia.org

 

柳田氏は、片目の神=大昔の生け贄という、ちょっとびっくりするような仮説を提唱しています。

大昔いつの代にか、神様の眷属にするつもりで、神様の祭りの日に人を殺す風習があった。おそらくは最初は逃げてもすぐつかまるように、その候補者の片目をつぶし足を一本折っておいた。

(中略)

とにかくいつの間にかそれがやんで、ただ目をつぶす式だけがのこり、栗の毬(いが)や松の葉、さては矢に矧(は)いで左の目を射た麻、胡麻その他の草木に忌みが掛かり、これを神聖にして手触るべからざるものと考えた。目を一つにする手続きもおいおい無用とする時代はきたが、人以外の動物に向かっては大分後代までなお行われ、一方にはまた以前の御霊の片目であったことを永く記憶するので、その神が主神の統御を離れてしまって、山野道路を漂泊することになると、恐ろしいことこの上なしとせざるを得なかったのである。(角川ソフィア文庫 柳田国男「一目小僧その他」より)

 

時代が下りその意味が忘れられて零落した姿が、妖怪・一つ目小僧だというのです。

kotobank.jp

 

この説には批判もありますが、上に引用した角川ソフィア文庫「一目小僧その他」の解説によれば、解説者・鎌田久子氏の実家は代々「五郎つあま」と呼ばれ、長男でも五の字のつく名前を付けられ、当主あるいはその妻が片目になるという言い伝えがあり、神官ではないものの家の真後ろに氏神の諏訪様が祀られていたのだとか。柳田説と妙に符合する話で気になります。ひょっとしたら……と思わせます。

個人的にもう一つ気になるのは、柳田氏には生け贄説を思い付くような何か具体的理由があったのだろうかということ。例えば、祭りで供される魚の片目を抜くところを実際に見たとか。それこそ今となっては分かりようがありませんが。

 

 

神が片目になった理由は、他にも諸説あります。隻眼の伝説が世界中にたくさんあるのはきっと人類学的な意味があるからだろうと、さまざまな考証が行われてきましたが、いまだ真相は闇の中。

Wikipediaによれば、日本の天目一箇神ギリシャのキュクロープスは鍛冶と関連しているそう。でも世界的には少数派で、普遍的とはいえないみたい。

ja.wikipedia.org

 

超素人考えですが、特定の植物で神様が傷を負うというところは、「金枝篇」で読んだ、バルドルヤドリギの話にちょっと似てるかなと……。

ja.wikipedia.org

 

それを植えないとか食べないという禁忌(植物禁忌、栽培禁忌、食物禁忌)もまた不思議。関連の本を読めば読むほど分からなくなります(笑) 

外国にも同様の植物禁忌があるのか知りたいです。

下記の本は未読ですが、動物食の禁忌は日本と似た例が外国にもあるようです。日本でも鰻を食べない話は聞いたことがあります。

www.book61.co.jp

「女人蛇体」

「女人蛇体」という本を少し読んでみました。

文章が難し過ぎて全部読める気がしない……。ので、拾い読み。

 

同書によれば、蛇女が出てくる民話・説話は、古い順に、3つに大別されるそう。

  1. 「古代アニミズムの神話体系を原郷とする水の精霊の民談」
  2. 龍女成仏・済度譚
  3. 道成寺もの(安珍清姫

1~3は互いに無関係ではなく、時代を経て1→2→3と変わってきたということみたい。

 

古代には、水の精霊の化身、神様としての龍蛇がいて、時に女の姿で人間と交わった。

→ 奈良時代聖武天皇が仏教を国教として、法華経の中にある龍女成仏譚が広く知られるようになった。

→ 高僧が愛欲・嫉妬の業に苦しむ龍女・蛇女を済度する説話が生まれた(道成寺ものの初出は平安時代の「法華験記」)。

→ 愛欲・嫉妬の業をもつ蛇女のイメージが確立し、数多くの説話、民話、怪異小説、戯作、歌舞伎、浄瑠璃などの題材に取りあげられるようになった(~近世)。

 

「古代アニミズムの神話体系を原郷とする水の精霊の民談」は、古事記豊玉姫(海神の娘で実はワニ)みたいな感じなのかな。

ja.wikipedia.org

豊玉姫同様、龍女・蛇女も、古代には尊い存在だったのが、仏教的世界観の流入により、動物は畜生となり、女性の地位が下がった結果、愛欲・嫉妬に燃えるおどろおどろしい蛇女になったと考えていいのかしら。

ただ、妻が妾に嫉妬して蛇になるという説話が結構あるみたいなんだけど、そんなの当たり前では? それで嫉妬深いといわれてもねえ。。。(困惑)

 

どうしてこの本を読んだかというと、予言獣「神社姫」って何なのかなと思って。

ja.wikipedia.org

 

頭の部分が清姫に似てる気がしたんだけど……

kotobank.jp

 

当時の人によれば、「探幽が戯画百鬼夜行の内ぬれ女の図を写し、神社姫と号して流布せしを~」ということで、神社姫の元ネタは「ぬれ女」だったようです。

www.rekihaku.ac.jp

 

ぬれ女も、清姫同様、おどろおどろしいほうの蛇女。

ja.wikipedia.org

 

でも神社姫は、姿はぬれ女や清姫に似ていたとしても、「龍宮の使い」と名乗っているところをみると、上記の1、古代の尊いほうの龍女だったんじゃないかな。

昔話「脂とり」のこと

「あぶらとり」について、5年くらい前にここに書きましたが、肝心の昔話「脂とり」の情報が抜けていたのでもう一度まとめます。

この昔話は日本全国各地で伝承されてきたそうで、検索すると幾つか出てきます。「まんが日本昔ばなし」にもなったようですね。

nihon.syoukoukai.com

要約すると、ある怠け者の男が、働かないでおいしいものを食べたいという願望を持っていて、それが人里離れた不思議な家で叶えられる。ところが、その家の秘密の部屋では人が吊されて脂をしぼられていて、男はびっくりして逃げ出すというストーリー。

 

私はポッドキャスト小澤俊夫 昔話へのご招待」(2010年8月20日放送回)で聞いたのが最初です。出典は福音館書店「日本の昔話 2」。そちらを参照すると、同書に採録・再話されたものは、もともと山形県東根市に伝わっていたお話ということでした。

 人が吊されて下から火で炙られ、脂をとられているという恐ろしい場面がなかなかのインパクトで、昔話にもこんな香港かどこかのホラー映画みたいなのがあるのかと驚きました。

 

また、それを見た男が慌てて逃げ出すシーン(↓)は、何となく韓国ドラマみたいだなぁと感じました。

男はもう仰天して逃げ出すわけです。ところが、見たら、周りが全部塀で囲まれていて、どこにも出口はない。松の木があったもんで、その松の木によじ登って越えるわけね。

ところが、越えてみたら、塀の向こうは何とカラタチの木の野原だったと。とげとげしてるんだね。とげとげしてるでしょう。それでも、もう逃げなきゃしょうがないから、カラタチのやぶの中をだーっと走ってった。もう体中傷だらけになった。

カラタチの花の畑をやっと抜けたら、今度はイバラの畑があって、またそれがどこまでも続いて、1里も続いてた。それを夢中で逃げてるうちに体中全部傷だらけになって、それで最後に、行ったら、今度は川があった。

ポッドキャスト小澤俊夫 昔話へのご招待」2010年8月20日放送回より引用)

気のせいかしらと思っていたら、小澤先生が、これは外国から来たお話かもしれないと解説されたので、なんと、やっぱり!(嬉)と、我が灰色の脳細胞に珍しく刻まれた次第。

 

5年くらい前、「国際昔話話形カタログ」の新しいのが出版されて思い切って買ってみたとき、このことを思い出して探してみました。

すると、話形956「強盗たちの家の熱い部屋」に、人間の脂肪が溶かされている場面が含まれていました。

ある(太った)男(商人、兵隊、船乗り、警官)がたまたま強盗の家に入る。(男は熱い部屋に閉じ込められ、そこでは人間の脂肪が溶かされている。)そこにはたくさんの死体がぶら下がっている。強盗達が家に帰ってくると、男は彼らの首を次々と切り落とし、彼らの財宝を取る。(小澤昔ばなし研究所「国際昔話話形カタログ」より)

 

類話の分布を見ると、ちゃんと日本が入っていました。そして洋の東西を問わず世界的に広く分布していました。小澤先生によれば日本の中にもたくさんあるそうです。

フィンランド、ラトヴィア、ラップ、デンマークスコットランド、イギリス、アイルランド、オランダ、フリジア、フラマン、ドイツ、スイス、ラディン、イタリア、サルデーニャ、マルタ、スロバキアセルビアブルガリアギリシャ、ロシア、ベラルーシウクライナ、トルコ、ユダヤ、ジプシー、クルドウズベク、シリア、パレスチナイラクカタール、インド、日本、中国、エジプト、アルジェリア、モロッコ(引用元:同上)

 

百科事典によれば、日本の「今昔物語集」や「打聞集」、中国の「冥報記」に類話が記録されていて、歴史的にも古くからあるお話ということでした。

kotobank.jp

インドの牛の説話

今昔物語集 天竺部」巻第一 第三十四に、「長者の家の牛、仏を供養する語」があります。

 

内容はこちらから読めます。

hon-yak.net

要約すると、強欲な主人に仕える雌牛が、主人の仏に対する酷い態度を見かねて、自分の乳を供養し、仏に、「この牛は天上界に生まれ変わるだろう」と言われるというストーリー。残念ながらもともとの出典は分かりません。

 

一方、中国や日本の化牛説話は、生前強欲だった人が、死後牛に転生し、こき使われるというもの。

 

全く違うようで、少し似ているような、不思議な感じがします。

 

「ジャータカ」の黒牛のお話(↓)も、少しだけ似ているような、全然違うような、不思議な感じです。

jodo.or.jpお釈迦様の前世の姿である黒牛が、おばあさんに大層可愛がられて育ち、何とか恩返しをしたいと思い、体に無理な負担をかけて大金を稼いだというお話。「ジャータカ」は、こうして善行を積んだので、お釈迦様となって生まれることができたという説話集なのだとか。

 

日本・中国の化牛説話は、「強欲だったので牛になってしまった」という悲しいお話でしたが、これらのインドのお話は、「施しをしたので牛の体から逃れられた」とハッピーエンドになっているのが面白いと思いました。

中国の化牛説話

中国の化牛説話も見てみたくて、「今昔物語集 震旦部」を探しました。

すると、1つありました。

巻第九 第三十九「震旦の卞士瑜の父、工賃を支払わず、牛となる語」です。

タイトルどおり、家を建てさせた大工さんに工賃を支払わなかったので、死んで牛になって生まれ変わった人の話です。随の時代のこととして語られていますが、もともとの出典は記載がありませんでした。

 

天竺編からは見つかりませんでした(タイトルをさっと見ただけなので見逃したのかもしれません)。

 

インターネットを検索して出てきた論文「鎮源『大日本国法華経験記』の異類功徳譚— 第 106 話「伊賀国報恩善男」を中心に —」(インド哲学仏教学研究 21, 2014. 3)によれば、中国の化牛説話の記録は4世紀末「出曜経」からで、日本同様数多く類話があるそうです。

 

「出曜経」には、兄から塩を借りて返さなかった弟が牛に転生した説話があるそう。

kotobank.jp

 

さらに、5世紀の「成実論」に、説話はないものの、その考え方が記載されているといいます。

ja.wikipedia.org

「成実論」については、「日本霊異記」中巻第三十二「寺の利殖のための酒を借りて返さないで死に、牛に生まれて使われた話」の末尾で下記のように触れられています。

物を借りて返さないと、その報いがあるということを知らなければならない。そこで成実論に、「人がもし物を借りて返さないと、牛や羊、鹿、ろばの中に生まれて、以前に借りた分を返すのだ」といっているのは、このことをいうのである。(平凡社東洋文庫日本霊異記」より引用)

 

出曜経と成実論は、もとはインドで書かれた仏教関連文献の漢訳です。

インドにもともとこういうお話があったのかどうか。ありそうな気もしますが、はっきりとは分かりませんでした。